アゼルバイジャン 2日目:2023.4.26 バクー(MAYO)

FOREIGN 海外

▶新市街

 9:30 ターキッシュ・カフェ/MADO

▶旧市街

 14:00 アゼルバイジャ二・カフェ/Qala Divari

 乙女の望楼

まるでヨーロッパ!なバクーの新市街

バクーを代表するメインストリート「ニザミ通り」。イスタンブールの新市街と同様にまったくイスラムの香りがしない。

日本からアゼルバイジャンまで約38時間かけてたどり着き(なんたって格安航空券だから!)、バクー二日目の朝を迎えた。

ヨーロッパの街並みのように小綺麗に整った新市街の景色に、オバ女子ふたりがキャピつきながら朝食を食べにカフェへ向かう。

比較的新しい石造りの建物が並びつつ、時折イスラミック・デザインの建物があったり、ソ連時代を彷彿とさせる壁画があったりする。

石油と天然ガスで潤っているアゼルバイジャンは第二のドバイと呼ばれているように、潤沢な資金で急成長している国だ。

コーカサス最大の近代都市バクー

間違いなくヨーロッパをお手本にしているだろう、新市街の整った街並み。

人口200万人の首ーー都バクーはコーカサスで最も大きな街として栄え、近代的な高層ビルの集まる新市街の一角に、日干し煉瓦で造られた王朝時代の街(旧市街)が残されている。

アゼルバイジャンという国家はほかのコーカサス地方の国と同様、侵略と支配の繰り返しによってさまざまな国や民族の影響を受け、混じり合い、形成されてきた。

起源は諸説あるが紀元前4世紀頃にアルバニア人国家がはじまり、3~7世紀はササン朝ペルシアによる支配(ゾロアスター教)、7~10世紀はアラブからの支配(イスラム教)、11~13世紀はセルジューク朝の支配(イスラム教)とともにトゥルク系民族が大量に流入。

現在のアゼルバイジャン人は、トゥルク系民族に土着のペルシア人、クルド人、アルメニア人、コーカサス諸民族の混血によって形成された。

14~15世紀はモンゴル帝国およびティムール朝(イスラム教)の支配、16~19世紀はペルシアのサハヴィー朝の支配(イスラム教シーア派)、20世紀はソビエト社会主義共和国へ加盟し、ソ連の崩壊後1991年に独立した。

アゼルバイジャンの国教はイスラム教で、人口の約93%がイスラム教徒であるにも関わらず、とにかくイスラム色が薄い

トルコと同様に政教分離(世俗主義)を国是としているけれど、トルコよりもゆるゆるな印象だ。

このゆるさについては別記事にまとめているので、興味のある方はそちらをチェックしてほしい。

トルコ資本の人気カフェ MADO

オープンエアのレストランが並ぶ遊歩道には植栽も多く、居心地の良いエリア。

ワタシとさおりんのお腹を満たすべく、お目当てのMADO(マド)に到着。

MADOはスイーツや朝食に定評のあるトルコ資本の人気カフェで、バクーにも数店舗展開している。

今回ワタシたちが向かったのはバクーのメインストリート「ニザミ通り」のすぐ近くにある店で、雰囲気の良いテラス席を併設。

ニザミ通りは新市街から旧市街まで延びる遊歩道で、ハイブランドの路面店やカフェが軒を連ね、バクーの魅力と経済力をアピールしているような目抜き通りだ。

MADOではレンティル(レンズ豆)スープ、白チーズ入りオムレツ、アゼルバイジャンの郷土料理クタブ(香草入りクレープ)、バクラヴァ(中東のスイーツ)、アゼルチャイをオーダー。

パンはサービスで付いてくる。

レンティル(レンズ豆)のスープには大粒のクルトンとスパイスととうがらしをトッピング。
白チーズ入りのトルコ風オムレツ。
アゼルバイジャンの郷土料理クタブ(香草入りクレープ)。中にはイタリアンパセリなど数種類のハーブが入っている。
中東を代表するスイーツといえばバクラヴァ。やっぱり本場の作り立てはめちゃくちゃ美味しい!

昨夜のAraz Terraceといい、MADOといい、アゼルバイジャンでの食事は何を食べても本当に美味しい。

トルコと同じように食材が優秀なのと、素材を生かしたシンプルな料理が多いからなのだろう。

ただバクーの物価は日本と変わらずふたりで38マナト(¥3,000)だったので、ちょっと優雅な朝食になってしまった。

街中の至るところにF1用の設備が設置されていた。

食後はコインランドリーに立ち寄ったが新紙幣が使えず(原因が判明するまで1時間くらいかかった!)、洗濯屋さんに衣類を出して夕方取りに行くことになった。

それから世界遺産に登録されている「旧市街」へと向かった。

かなり小ぢんまりしているバクーの旧市街

旧市街(イチャル・シャハル)のはずれの方は比較的新しい建物もあった。

世界最大の湖であるカスピ海の西側に位置するアゼルバイジャンは、東西のシルクロードと北(ヨーロッパ・ロシア)と南(ペルシャ・アラビア)の交易路が交わる十字路にあり、各地にキャラバン隊の足跡が残されている。

バクーの旧市街(イチェリ・シャハル)もそのひとつで、キャラバン隊が必ず通ったシェマハ門(12世紀)から城壁のなかに入ると、乙女の塔(12世紀)、シルヴァンシャー宮殿(15世紀)、現在はレストランや土産物屋に改装されたキャラバンサライ(隊商宿)などが建つ。

旧市街の入口のひとつ、シェマハ門。

由来に諸説ある、不思議な建造物の乙女の塔。
かつての栄華を誇ったシルヴァンシャー宮殿跡。

お店やレストランの並ぶ通りから一本わき道に入ると、迷路のように曲がりくねった細い路地が続いているが、半日散策すると大体把握できる規模だ。

マラケシュ、チュニス、カイロ、イスタンブール、ドバイ、アブダビ、ワタシが訪れたことのある旧市街の大きさに比べると、かなり小ぢんまりしている。

ザ・観光地の旧市街を日本人ふたりで歩いていても、客引きに声をかけられることもなく、ナンパ師に絡まれることもなく、めちゃくちゃ快適に散策できたことに感動。

客引きがいないし全然しつこくないお土産物屋さん。

フレンドリーで親切なアゼルバイジャン人の人柄もあって、旅の気分は爆上がりした。

ただ物価が高くて、買付じゃなくてただの買い物になってしまったのが残念なところ。

キリム屋さんがオールドキリムを天日干ししていた。
アンティークの壺や花瓶はジョージアやアルメニアでも見かけた。

人生で3本指に入るパン「チョレック」

遅めのランチは旧市街の「Qala Divari」で、ご当地ビールにフムス(ひよこ豆のペースト)とチョレック(パン)。

チョレックは石窯で焼いた大きなパンで、小麦粉の風味がしっかりしてて、ワタシが人生で食べたパンのなかでもトップクラスで美味しい。

ただ大きすぎて食べきれず毎度お持ち帰りになるので、宿にはパンのストックが増える一方だった(笑)。

アゼルバイジャンの地ビール!
最高に美味しいチョレックにフムス(ひよこ豆のペースト)をつけていただく。

いよいよ翌朝は古都シェキへ移動

翌日から古都シェキへバスで移動する予定だったが、宿のスタッフに確認してもらったところコロナの影響で直通バスがなくなっていた。

そこで空港で出会ったドライバーのタギーさんに連絡を取り、タクシーチャーターの交渉をしてみた。

バクーからシェキまでは約300km、車で約4~5時間といったところ。

ネットのタクシーサイトでは大体150~200マナト(¥12,000~16,000/1マナト=¥80)ほどだったので、タギーさんが最初に提示した250マナト(¥20,000)を125マナトに値切り、最終的に150マナトで交渉成立。

しつこくなく、あっさりと決まり、翌朝9時にお迎えを頼んだ。

この後、旅の最中にタギーさんに何度も助けてもらうことになるとは思いもしなかったけど、良い出会いだと確信した瞬間だった。

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