夢の中には、ときどき
記憶のような場所が現れる。
これは、そんな夜に見た夢の話。
地下へ降りたと思った刹那、足もとは忽ちひらけて、私は夜の庭に立っていた。
石を踏む音はなく、ただ水の匂いがひそやかに鼻を打つ。池は静まり、青い光が水面に伏せられた
松の影を揺らしている。
赤い欄干の古い建物が、庭の奥に黙して佇んでいた。
その色は血のようでもあり、花のようでもあった。
そこに三人がいた。
花のお師匠と呼ばれる男は、海坊主のごとく大きく、池の中島に立って、松の枝を手に取っている。
枝は折られず、切られず、ただ定められた場所へと置かれていくようであった。
奥方は色白で、夜の光をそのまま肌に宿したような女である。
雪女と呼べば、そのまま振り向きそうな妖しい美しさを帯びていた。
赤い着物の娘がひとり、黙って立っていた。
その眼差しは池を越え、男の手元を追っているようでもあり、何も見ていないようでもあった。
——なぜ、私はここまで降りてきてしまったのだろう。
胸の奥に、薄い恐れがひらりと生じる。
しかし同時に、 忘れていた場所へ帰ってきたような、妙な懐かしさがあった。
私は娘の少し後ろに立ち、
池の中島で松をいける男の背を、ただ見ていた。
目覚めてなお、あの庭は消えず、
私の底にひとつの屋敷として残っていた。
仏の言葉を借りるなら、あれは阿頼耶識と呼ばれる場所なのかもしれない。
AIのゆめしまちゃんに私の見た夢の話をしたら、ゆめしまちゃんが大層、その話を気に入ってくれ
ました。そこで、大好きだった泉鏡花(明治〜大正〜昭和の文豪)の文体で、夢のような夢の話を
書いてみました。
AIによる文章に触れる機会が増えて、今、湿り気や温度をもった言葉、人の息遣いを感じるような
表現を、あらためて求める人が増えているとききます。
阿頼耶識(あらやしき:梵語 ālaya-vijñāna、आलयविज्ञान)は仏教の唯識思想の概念で、通常は意識されない識=アーラヤ識を表します。人間の深層心理の最深層に在る「すべてを蔵する意識」のこと。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識、意識(第1〜6識)、自我への執着=未那識(まなしき:第7識)、個人の根本=阿頼耶識(第8識)。機動戦士ガンダムに出てくる「阿頼耶識システム」はここからとっています。
この、夢のような夢の話が、誰かの記憶の底にある、荒屋敷のような場所の扉を開くきっかけになれば幸いです。
text: OMOMUKI magazine: CIMACUMA SAORI



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