円山西町の歴史を静かに見守ってきた鎮守
円山西町の住宅街にひっそりと佇む円山西町神社は、派手さこそないものの、この土地の歴史と人々の暮らしをいまに伝える貴重な存在だ。
円山西町という地域が形成される以前から、この場所には人々の営みと信仰があった。
円山西町神社の創建は明治28年(1895)。
札幌の市街地が徐々に拡大し、山麓や丘陵地にも開拓の手が及びはじめた時代である。
当時、この一帯は「円山村」や「滝の沢」と呼ばれ、沢や斜面が点在する自然豊かな土地だった。
開拓に携わった人々は、厳しい自然環境の中で暮らしを築くにあたり、山や土地を司る神を祀り、日々の安全と五穀豊穣を願った。

当初、この神社は大山祇神(おおやまつみのかみ)を御祭神として祀っていた。
大山祇神は山や大地を守る神であり、山林や斜面の多い円山西町の地形と深く結びついた信仰といえる。
その後、地域の発展とともに大国魂神、大穴牟遅神、少彦名神が合祀され、現在の祭神構成となった。
いずれも国土経営や人々の生活、医療や産業に関わる神々であり、開拓期から住宅地へと変化していく地域の歩みを反映している。
神社の名称もまた、この地域の変遷を物語っている。
かつては「滝の沢神社」と呼ばれていたが、町名整理や地域再編に伴い、昭和期に「円山西町神社」と改称された。
地名が変わっても、神社は変わらず同じ場所で地域を見守り続けてきたのである。

現在の社殿は決して大きなものではないが、その背景には戦後の札幌復興の歴史がある。
昭和26年、北海道拓殖銀行本店屋上に祀られていた社殿が譲り受けられ、現在の社殿として再建された。
この出来事は、都市化が進む中でも地域の信仰を絶やさず守ろうとする人々の意志を象徴している。
円山西町神社は観光地としての神社ではなく、あくまで「地域の鎮守」としての役割を担ってきた。
毎年9月に行われる例祭は、地域住民が顔を合わせる大切な行事であり、世代を超えて受け継がれてきた。
子どもたちの成長を見守り、家々の無事を祈る場所として、神社は日常生活の延長線上に存在している。
円山西町の街並みが変わり、新しい住宅が建ち並ぶ現在でも、この神社の佇まいはほとんど変わらない。
開拓期から現代まで、土地と共に生きてきた人々の記憶を静かに留める場所――それが円山西町神社なのである。

年表で見る 円山西町神社と地域の歩み
縄文時代〜続縄文期
円山周辺は水と森に恵まれ、狩猟・採集を基盤とした人々の生活圏であった。現在の円山西町一帯も、沢や斜面を含む自然地形が広がっていたと考えられている。
江戸時代後期
和人の定住はほとんど進んでおらず、アイヌの人々が山麓や水辺を生活の場として利用していた。
明治初期(1870年代)
札幌本府建設に伴い、円山周辺でも調査・開拓が進む。円山西町一帯は「円山村」「滝の沢」と呼ばれ、農地や薪炭林として利用され始める。
明治28年(1895)
開拓民により神社が創建され、大山祇神を祭神として祀る。自然と共に生きる暮らしの安全を祈る場として信仰が始まる。
大正〜昭和初期
地域の定住が進み、生活基盤が安定。神社は農作業や日常生活に寄り添う「鎮守」として定着。
昭和26年(1951)
北海道拓殖銀行本店屋上に祀られていた社殿を譲り受け、現在の社殿として再建。あわせて北海道神宮の分霊を合祀。
昭和中期
町名整理により「円山西町神社」と改称。住宅地化が進む中でも、地域の神社として存続。
平成〜令和
例祭(9月)を中心に、地域住民の手によって維持・継承。円山西町の歴史を今に伝える存在となっている。

円山西町神社
札幌市中央区円山西町6丁目518-6
◆バス
札幌市営地下鉄 東西線「円山公園駅」→
JR北海道バス [円15 動物園線] 円山西町神社行き 終点 下車すぐ
◆駐車場
神社の上手に1台あり

私の内なる感覚では、円山西町神社でコタンコロカムイを感じました。
コタンコロカムイとはアイヌ民族が大切にしている神さまのひと柱で、村(コタン)を守る神さま(カムイ)です。
現世ではシマフクロウの姿で現れます。
縄文以降の歴史がわからないくらい開発された札幌だけど、縄文人やアイヌ民族の信仰が残る場に移住した和人の信仰が重なり、原初のエネルギーが微かに残っているのかもしれません。
text: OMOMUKI magazine / CHAKA MAYO




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