3月18日、父の82回目の誕生日だった。
昨年まで、私や妹の誕生日には欠かさずメッセージをくれていた父。今年は娘たちの誕生日をすっかり忘れていたのに、自分の誕生日はちゃんと覚えていて「みんなで祝ってくれ」と言う。
ちゃっかりしている。愛嬌のある父らしくて、思わず笑ってしまう。
翌日は、甥っ子の小学校の卒業式。そして天国にいる母の誕生日。
父の誕生日と重ねて祝うことになり、私もその場に加わった。地元民にはおなじみの、老舗ジンギスカン本店。
家族の祝いの席にいること。
それは、それぞれの両親や祖先、たくさんの命と連綿とつながって今があることを、静かに寿ぐ時間でもある。ちょうどお彼岸だ。
翌朝、早朝に実家を出て仕事へ向かった。
その日のガイドヘルパーは、視覚支援学校の卒業式。
卒業生の「つらいことも多かったけれど、支えてくれてありがとうございました」という謝辞に、保護者の方が涙を流していた。
難聴の妹を、毎朝2時間かけて聾学校へ送り続けた母の姿が重なり、私も胸が熱くなった。
妹は今、母となり、家庭を持ち、家業を継ぎ、父にツッコミを入れながら、日々を明るく生きている。
あの頃の時間も、すべて今へとつながっている。
私の中で、どんな人生もかけがえがなく、美しい。けれど、ここに至るまでには時間がかかった。
「気の毒」「かわいそう」という世間のまなざしに、どこかで自分も縛られていた。
自分の軸を取り戻して、ようやくまたこの美しい世界をまっすぐ見られるようになった。
人生の後半、こうして福祉の世界と関わる中で、
私はこの美しい流れの一部として、ここにいる。
春分、宇宙元旦。
外に向かう前に、静かに内側へ還る日。
この感覚が、あなたの中にも静かに広がっていきますように。
text: OMOMUKI magazine/ CIMACUMA SAORI

