グルジアでの過去生の回収と統合

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今回はちょっとスピリチュアルな記事なので、苦手な方はスルーしてほしい。

昨年旅したジョージア(旧グルジア)でのことだ。

ジョージアの首都トビリシには、歴史的建造物が連なる旧市街がある。

アゼルバイジャンからジョージアへ移動し、はじめて旧市街に足を踏み入れようとしたタイミングで、急に大雨となって激しい雷鳴が轟きはじめた。

川沿いの崖に生えるシダ植物群に雨が当たり、滝のように流れていた。この断崖絶壁の上には5世紀に建造されたメテヒ教会がある。

『ああ、歓迎されてないのだな。ていうかむしろ、追い返したいのかも』

という印象だった。

日本の神社仏閣めぐりをしていると、とてもわかりやすく歓迎のサインを受け取ることがある。

天気予報が雨だろうと、行く先々で晴れになるというのはよくあることだ。

だからよっぽどのことではない限り、旅先ではお天気に恵まれることが多かった。

トビリシはその逆パターンで、拒絶されるという初の経験だったのだ。

自然はわかりやすい反応を示す、と著名なヒーラーさんも仰っていたので、きっとそういうものなのだろう。

激しい雷雨からは何か怒り狂ってるような、憤っているような、そんな雰囲気を感じた。

たとえその土地から拒絶されても旅の最中の貴重な時間だったので、私は構わず歩き続けた。

すると、とくにムトゥクヴァリ川にかかる橋を渡っているときに、これでもかと雷が落ちてきたので、ここで何かあったのかなと引っかかっていた。

おそらく私の過去生で関りの深い土地なのかもしれないと。

デコボコした石畳と曲がりくねった道が続くトビリシの旧市街。風情のある街並みには5世紀からの歴史が刻まれている。

旅を終えて帰国後に調べてみると、ジョージア(旧グルジア)の首都トビリシには大虐殺された過去があった。

イスラム教国のホラズムがキリスト教国のグルジアに攻め入り、ムトゥクヴァリ川の橋で踏み絵を行ってイスラム教に改宗しなければ処刑したという。

「トビリシの十万人の殉教」と呼ばれる、歴史的な事件だった。

13世紀、グルジア王国はホラズム・シャー国とモンゴル帝国からの侵略を受けていた。

ホラズム・シャー国は11世紀にはじまり、13世紀初頭には中央アジアから西アジアにかけて拡大したイスラム世界の最強国だった。

また同時期にチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国が台頭し、ホラズム・シャー国を征服。

ホラズムの王子ジャラルッディーンは国を滅ぼされてもなおモンゴルに抵抗し続け、国王の死後皇帝となって王朝再建を目指し、豊かな国であったグルジア王国を奪おうと1225年に攻め入った。

そのときにトビリシを占領して民衆に改宗を迫り、受け入れなかった人々の処刑を行ったのが「トビリシの十万人の殉教」だった。

後にジャラルッディーンはモンゴル軍に抵抗を続けるも1231年に殺害され、ホラズム・シャー国は名実ともに滅亡した。

なんと、この時代のジョージアを舞台にした歌劇『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』が、宝塚で上映されていた。

この歴史を知ったとき、私はトビリシでのことが深く腑に落ちたのだ。

私はホラズム・シャー国の軍人だった過去生があり、グルジア人を処刑した側の人間だったのだろうと。

私はイスラム教徒ではないけれど、イスラム教や中東との縁の深さを度々感じることがある。

中東での過去生もひとつやふたつではないとも思っている。

中村凰伯先生に描いていただいた前世みちびき画にも、キャラバン隊の隊長だった過去生があった。

ジェノサイドした側の過去生をもつ私が、その現場に行ったら拒絶されて当然やん、とめちゃ納得した。

中村凰伯先生は対面とオンラインで前世みちびき画セッションを行っている。興味ある方はコチラ

その雷雨の翌日、トビリシの新市街を散歩中に見つけたグルジア正教会のカシュエティ教会に立ち寄ってみた。

そこで祈りを捧げていると、ハートの奥がいままでにないほど大きく感応した。

神社での参拝もときどき同じようなことが起こるけど、ここまで大きな感応ははじめてだった。

なんとなくその土地の神さまに赦された感じがして、感謝の気持ちが溢れてとまらなかった。

トビリシの中心部にあるカシュエティ教会。残念ながら中は撮影禁止だったが、ちょうど礼拝が行われていた。

旅から戻って3ヶ月後、東京の友人Aさんが自分の過去生をリーディングしたときに私も登場したことを教えてくれた。

彼女の過去生は男性の軍人で、騎馬での戦いの最中に亡くなったそうだ。

亡くなる間際に思い浮かべていたのは、いつも仰ぎ見ていた上官の横顔。

彼の元へ、もう生きて戻ることは叶わないのだと悟ったのが最期で、その上官が私だったと。

きっとこのタイミングで伝えてくれた過去生なら、ホラズム軍で一緒に戦っていた仲間だったのだろうと感じた。

今世でも出会えた彼女と私のご縁の深さに、時空を超えた感慨深さがあった。

それから更に3ヶ月後、あるヒーラーさん主催のツアーで能登半島をめぐったときのことだ。

愛知県から参加していたMちゃんと、たまたま初日と三日目に同室となった。

はじめて会ったにも関わらず、そばにいると古くから知っているような居心地の良さを感じていた。

スピトークのできる彼女にトビリシでのことを話してみたら、

「マヨちゃん、私のこと殺したよね」と異次元からのド直球が返ってきた(笑)。

Mちゃんはグルジアで教会の神父をしていた過去生があり、ホラズム軍にトビリシを占領された際、聖画を並べた橋の上を歩くことを拒んで処刑されたと。

彼女との出会いはかなり衝撃的で、統合の時代の象徴のひとつなのだと理解した。

殺した側と殺された側という、相反するものが統合してひとつになる。

陰陽、善悪、正誤、優劣、損得、高低、白黒、男女、などなど。

二元性からなる分離の時代の1万3千年を経て、統合の時代の1万3千年の周期に入っている現在、目に見えるものも見えないものもユニティに向かっている。

ご縁のある土地を旅して過去生を回収して、ご縁のあった人たちと再会し、統合する。

そんな一連の流れがわかりやすく起こった出来ごとだった。

コーカサスの旅ではジョージア以外にも縁のある土地があったので、興味のある人がいればまたの機会にでも書いてみようと思う。

トビリシの庶民的なエリアにある市場には、食べ物から日用品まで何でもあって楽しい。

text: OMOMUKI magazine / CHAKA MAYO

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