静かに朽ちていく、記憶のかけらたち
「しまくまさんご存知かも知れませんが」と知人が送ってきてくれた画像には、
美しい緑色の、ちょっと不思議な三角形をした木造建造物が表紙の画集が写っていた。
これぞ、我が心の原風景。
木々のざわめきに耳を澄ますと、遠い記憶がよみがえる。
煉瓦の壁に刻まれた手の跡、雨に濡れたペンキの剥がれ、木製のベンチに残る誰かの体温。
『ダーチャ 失われゆくソビエト時代の小屋とコテージ』をすぐに取り寄せた。
これは、ただの写真集ではない。
それは、過去の時間をそっとすくい取るように撮られた、記憶のアルバムなんだ。

フョードル・サヴィンツェフのレンズは、古びた小屋の隙間に宿る人の営みを丹念に掬い上げる。
そこにあるのは懐かしさではなく、「帰ることのできない場所」への切なさ。
彼の視線は決して感傷的ではない。ただ、静かに、確かに、過ぎ去った時を見つめている。
ダーチャ――自然と共に過ごす、ささやかな自由の場
「ダーチャ」とは、ロシアにおける郊外の別荘や菜園小屋を意味する言葉。
もともとは帝政ロシア時代、貴族たちが夏の避暑地として所有した土地に始まり、
やがてソビエト時代に入ると、ソビエト連邦企業に勤める社員(組合員)や
一般市民にも割り当てられるようになった。





都市の喧騒から逃れ、土をいじり、果実を育て、家族と過ごす。
限られた自由の中で人々はこの小さな空間に、理想の暮らしやささやかな希望を託した。
ときにそれは、社会主義体制の中で許された数少ない「個人の表現の場」となり、
壁紙の柄や家具の配置、手作りの装飾品の一つひとつに、住む人の性格がにじみ出ていた。
サヴィンツェフの写真には、こうした人々の「もう一つの生活」の痕跡が、
ありのままに映し出されている。手製のスツール、壁に飾られたアイコン、
擦り切れたカーテン――それらは、何気ないものに見えて、
実は数十年分の季節と記憶を吸い込んでいる。
時間に忘れられた場所、それでもまだ生きている
この写真集に写るダーチャの多くは、もはや誰も住んでいない。
朽ちかけた屋根、蔦に覆われた窓、苔むした道具たち。
しかしそこには、確かに「誰かがいた」という気配が残っている。

それは、家というよりも、記憶の器だ。
時代が変わり、人々が都市へと吸い寄せられても、
ダーチャには時間の緩やかな流れだけが残り、かつての暮らしをそっと抱きしめている。
写真は、そうした“失われつつある風景”を見つめ直すための小さな祈りなのかもしれない。
庶民のダーチャ、高官のダーチャ ふたつのダーチャ
庶民のダーチャ――手のひらで育てた楽園
ひなびた木造の小屋、庭にひしめくトマトやディルの香り、錆びたジョウロに刻まれた年輪。
庶民のダーチャは、決して豪奢ではない。
しかし、そこには「生きる」という行為の根源があった。

ソビエト時代、市民に与えられた小さな区画は、経済的な補完以上の意味を持った。
配給制度の不安定さ、画一化された都市生活のなかで、
人々はこの小さな土地に“選べる暮らし”を育てていった。
雨樋に吊るされた手製の風鈴、窓辺のレースカーテン、裸電球が照らす素朴な台所。
―そこには、個性と愛着がにじんでいる。
これは、抑圧の時代にあって人々が密やかに築いた“もうひとつの自由”の風景だ。
このダーチャを訪れると、何もないことの豊かさに気づかされる。
草の匂い、夏の午後の静けさ、土に触れることでよみがえる祖父母の手のぬくもり。
あらゆるものがゆっくりと、しかし確かに、記憶の底から浮かび上がってくる。




高官のダーチャ――静寂に潜む権力の影
一方、政府高官や文化エリートのダーチャは、まるで別の世界のように佇む。
広々とした敷地、精緻に組まれた石造りの暖炉、森を見下ろすバルコニー。
贅を尽くした造りは、権力の象徴であると同時に、“隔離された特権空間”の記憶でもある。
このようなダーチャは、公式には「労働と余暇の場」とされたが、
実際には選ばれし者だけに許された楽園だった。
国家の高層部に近づくほどに、自然の中の“静寂”が増していく。
―それは時に、言葉にならない重圧の沈黙でもあっただろう。
サヴィンツェフのカメラは、その沈黙を暴くことなく、ただ淡々と記録する。
豪奢な食器棚の奥、書斎に置かれた一冊の詩集、庭に積もる落ち葉。
それらは、過ぎた栄光と、誰にも語られなかった孤独の証でもある。


高官のダーチャは、まるで小さな宮殿のような建造物が多い。
郷愁の光――すべてのダーチャが心に還る場所
朽ちかけた屋根も、ひび割れた窓も、やがて草木に埋もれていくだろう。
けれどもそこには、確かに“生きられた時間”があった。
土に触れ、木を組み、花を植え、実りを分かち合った記憶は、
誰のものでもない個人の物語として、今なお静かに息づいている。


それが、ダーチャという場所の不思議な力だ。
時代が変わり、国の形が変わっても、人は時に、こうした“原風景”に立ち返りたくなる。
それは、たとえ物理的にそこへ戻れなくても、心の奥底で何度でもよみがえる、
遠くて懐かしい風景。
『ダーチャ 失われゆくソビエト時代の小屋とコテージ』が私たちに届けてくれるのは、
単なる建築の記録ではない。
それは、私たち一人ひとりがどこかで忘れてしまった“かつて在った居場所”――
その温もりと、静かな郷愁への、写真というかたちを借りた旅なのだ。

ダーチャ 失われゆくソビエト時代の小屋とコテージ/フョードル・サヴィンツェフ/アンナ・ベンエッセイ
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