うずうず。
定期的に訪れる「あの感じ」を無性に体感したくなって、
8月の終わり、稚内に行ってきた。
もともと道民なんだけど、海のない内陸部で育ったからかな。
北海道の中でも、道北・道東。
日本海からオホーツク海側には、
シャーマニックな造形物が残っていたり、
空とか、海とか、大地とか
自然がより深く、何か根源的なものを感じる。
そこへ赴くと、自分の中のどこかが
「ここ、知ってる」って反応するような感じ。
だから、ときどき
無性に行きたくなるんだと思う。
稚内には、日本最北端の宗谷岬がある。
海(宗谷海峡)の向こうの、
およそ43km先にあるのが樺太(サハリン)だ。
天気がよければ、島影を見ることもできる。
数年前まで、稚内港から樺太行きのフェリーが出ていた。
何度か「行きたいな」と調べては「モスクワに行く方が安いな」と思い、
「近いからいつでも行けるか」と先送りしたり。
そうこうしているうち、
フェリー運行が休止してしまった。
近いと行かないという、あるあるなヤツ。
行けないと思うと、行きたくなる。
現在も、行く方法がないわけじゃない。
でも、とても遠回り。
そこで、樺太を知ることで
近づいてみようと思った。
樺太のことを、なぜ「サガレン」と呼ぶのか?
稚内の北方記念館などを訪れると、
宮沢賢治をはじめ、さまざまな文学者たちが
「サガレン(薩哈嗹)」を旅したことを紹介する展示に出会う。
『サガレン』
なんともノスタルジーなこの響き。
そういえば、これって日本語なんだろうか、
それともロシア語だろうか?
17〜19世紀のロシアやヨーロッパの地図では
「Saghalien」と表記されている。
発音は「サガレン」、「サガリエン」。
これが時代を経るうち変化して
ロシア語の「サハリン(Сахалин)」になったらしい。
もともとの語源は、ロシア語ではなく
中国の清(しん)時代に使われていた満州語
「サハリヤン・ウラ・アンガ・ハタ(sahaliyan ula angga hada)」 。
・sahaliyan サハリヤン = 「黒い」
・ula ウラ = 「大河」
(※ちなみに「黒い大河」は黒竜江=アムール川のこと)
・angga アンガ = 「口・河口」
・hada ハタ = 「峰・岩山」
当時の大陸側(中国)から見えた
「アムール川の河口から見た岩山(島)」という、
地形を表す言葉だった。
現在の中国では、樺太を
「庫頁島」(「庫頁(こけつ / クーイェ」)と呼んでいる。
余談だけれど、清より古い時代から
「骨嵬(こつがい / グーウェイ)」(元の時代)
「苦夷(くい / クーイー)」(明の時代)
と呼んできた。
「サガレン」は、
満州語でこの島を表す最初の音「サハリヤン」が
時代を経るうち変化して、
「サガレン」になったものだった。
では、「樺太 カラフト」の語源は?
すると、日本語「樺太(からふと)」の由来も気になってくる。
樺太(karafuto)の語源については、いくつかの説がある。
その中のひとつが、この島の先住民の一民族だった
アイヌのアイヌ語由来説だ。
「カムィ・カㇻ・プッ・ヤ・モシㇼ ( kamuy kar put ya mosir )」
・kamuy カムイ =「神」
・kar カㇻ = 作る、造る
・put プㇳ = 口、河口
・ya ヤ =陸、島
・mosir モシㇼ = 国、大地、島
意味は「神さまが河口に創った島」。
江戸時代の書物『新羅之記録』(1646年)には
「唐渡之嶋(からとのしま)」「唐ふと」などの
表記が見られ、
その後、江戸幕府が「蝦夷地より北にある島」ことから
「北蝦夷(きたえぞ)」と呼んだ。
そして明治になると、
「樺太」という表記が定着していく。
「カラプト」が転化して「カラフト」になったという流れ、
しっくりくる。
交易の島としての、サガレン
樺太には、古くからアイヌ、ニヴフ、ウイルタなど
さまざまな北方民族が暮らしていた。
南部には樺太アイヌ、
大陸側の中部から北部にはニヴフやウイルタなどが住み、
それぞれが漁や狩猟、交易を営んでいた。
そして、アムール川流域の民族とも交流していた。
江戸時代、
アムール川流域の人々との交易は
「山丹交易」と呼ばれ、
中国由来の絹織物などが北海道へもたらされたことが知られている。
清の時代にも、
清やアムール川流域の人々と、
樺太に住む人々とは、贈答や交易を通じてつながっていた。
いわゆる「朝貢交易」だ。
この時代に、樺太が、清の領土だったことはないという。
つまり樺太は、
「日本とロシアの間にある島」
というだけではなかった。
そこには、
北海道と樺太、
樺太と大陸を結ぶ「交易の道」があった。
「サガレン」も、
「樺太」も、
誰か一人が名づけた名前ではない。
暮らす場所。
狩りをする場所。
魚を獲る場所。
交易をする場所。
この島に関わる人々が、
それぞれの言葉で、この島を呼んできたものだ。
ずっと昔から、
人が行き来し、
物が行き交い、
言葉や文化が行き交う場所だった。
誰の土地でもない。
多様な民族や時代の中で、
さまざまな名前で呼ばれていた島。
創造すると、
それは何だか
古のコスモポリタンのようで、わくわくする。
text: OMOMUKI magazine/ CIMACUMA SAORI






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