店に「дача(ダーチャ)」という愛称を付けているので、「どんな意味ですか?」と聞かれることがよくある。
近年は、ロシアの『アナスタシア』シリーズを愛読する方から、「あのダーチャですね」と声を掛けられることが増えた。さらに最近は、YouTubeチャンネル「TOLAND VLOG」で『アナスタシア』が紹介されたこともあり、「ダーチャって何ですか?」という質問をいただく機会が一段と多くなった。

「дача(ダーチャ)」は、ロシア語で「与えられた土地」。
語源は「与える」を意味する動詞「дать(ダーチ)」だ。
(余談だけれど、日本語入力したら「ダー地」と変換されて、妙に気に入った。)
私のダーチャは概念なので、実際に店で畑を耕しているわけではない。それでも築80年の小さな木造家屋と庭、その奥へと続く森の光景を眺めていると、「ここは私のダーチャだなぁ」とほっこり感じる瞬間がある。
ところで、今、ダーチャを知る人の大半が「ダーチャ」は『アナスタシア』発祥と捉えているようだ。けれど、この言葉はそのもっと前からある。
ダーチャの歴史は、18世紀(日本は江戸時代)の帝政ロシアにまでさかのぼる。
ピョートル大帝が、サンクトペテルブルク近郊に貴族たちの別荘を与えたことが始まりとされ、「ダーチャ」はもともと「皇帝から授けられた土地」を意味していた。
余談だけど、サンクトペテルブルクには「夏の庭園」という観光名所がある。これはピョートル大帝がヴェルサイユ宮殿の庭園に触発されたもので、当時、貴族や上流階級の人達はフランス語で会話していた。(『ゴールデンカムイ』でも、革命家ソフィアが「メルシー」と言って出自がバレる場面があったね)
時代は変わり、1960年代 ソビエト時代になると、都市に暮らす人々へ郊外の小さな区画が割り当てられ、野菜や果物を育てる文化が広がる。食料不足を補い、家族の暮らしを支えるための大切な場所だった。(ここに関しては『ダーチャってなんだっちゃ』にも紹介しています)
私がロシアを旅した頃、蚤の市や地下鉄の駅前で、ダーチャで採れた果実をジャムにしたり、野菜をピクルスにして売るおじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいた。警官が来ると何事もなかったように商品をしまい、「今日はいい天気だねぇ」という顔をして(真冬でも)日向ぼっこを始める。その、おおらかなやり取りまで含めて、実にロシアらしい風景として写った。
そして現代では、『アナスタシア』シリーズが描く「祖国の空間」という思想が、多くの人の共感を集めている。約1ヘクタールの土地で自然と共生し、その場所を子や孫へ受け継いでいくという考え方だ。この思想が社会や制度にも影響を与えたと語られている。

同じ「ダーチャ」という言葉の中に、私が最初に惹かれたダーチャと、『アナスタシア』のダーチャ、そしてピョートル大帝のダーチャという、少しずつ違う景色がレイヤーとしており重なっている。
歴史をたどるうちに、ダーチャとは、時代ごとの願いを映す器なのではないだろうか?と感じるようになった。
皇帝が与えた土地。
暮らしを支えるための菜園。
そして、未来へ命をつなぐ「祖国の空間」。
「ダーチャ」という響きは同じ言葉でも、人々が土地に託した願いは、時代とともに少しずつ姿を変えてきた。
私には、帝政ロシアやソビエト時代のダーチャは、社会を支え、生きるための仕組みという「父性的」で「左脳的」な世界観として映る。
一方、『アナスタシア』が描くダーチャは、自然を育み、命を循環させる「母性的」で「右脳的」な世界観に感じられる。
もちろん、これは歴史を男性性・女性性で分類する話ではない。あくまで、私自身が「ダーチャ」という文化を眺めていて、受け取った感覚。そして、両方がフラットに接続される事で、心と脳の身体がバランスよく結び付くように感じている。
生きるために土を耕した時代があって、その先に、「どう生きたいか」を問いながら、土と向き合う時代が訪れた。







さいごに毎年、言っているけれど。今年の春夏も忙しくて、なかなか種を蒔く好機がなかった。「忙」という字は「心を亡くす」と書く。
帯状疱疹が出てしまったけれど、喜ばしい事に心(自分軸)は亡くならなかった。雑草と呼ばれる植物がのびのび生える庭、森を眺めて古いものを手入れし、お茶を淹れ、季節の移ろいを感じること。
私にとって「ダーチャ」とは、土地の広さではない。1ヘクタールを持つことでも、畑を耕すことだけでもない。
人と自然との関係を取り戻せる場所。
そんな場所を心の中に持ち続けること。それが、私が「ダーチャ」と呼びたいものなのかもしれないなあと思う。
text: OMOMUKI magazine/ CIMACUMA SAORI





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