第1回:生命の樹への招待
第2回:10のセフィロトと四つの世界
第3回:カバラ4000年の歴史
第4回:ルリア・カバラ~ツィムツム、器の破損、ティクン
第5回:秘密結社とカバラ~薔薇十字団、フリーメイソン、黄金の夜明け団
第6回:前世の記憶と魂について
第7回:死海文書とクムラン洞窟(本記事)
クムランに着くとそこは荒涼とした大地で、こんなところに人が住んでいたということに驚いた。
そして見上げた洞窟は、思ったよりも小さかった。
死海のほとりの、乾いた崖にぽっかり空いた穴。
あの中に、2000年以上も文書が眠っていた。
そして先日、エルサレムのイスラエル博物館で実物の死海文書、本物のインクの跡が残る羊皮紙を目の前にした。
1968年以来初めて、イザヤ書大巻物の全巻が公開されていた。
今回の記事は、その死海文書とクムラン教団がテーマだ。
ここに眠っていたある一群の文書が、実は後のカバラ神秘主義へと続く、細くて重要な糸だったという話をしたい。
死海文書とは何か—基本のおさらい
1947年、死海北西岸、ヨルダン川西岸地区のクムラン洞窟群で、ベドウィンの羊飼いの少年が偶然に古い壺を発見した。
そこから始まった発掘調査で、最終的に11の洞窟から972点にのぼる写本群が見つかることになる。
「20世紀最大の考古学的発見」と呼ばれるゆえんだ。
文書の年代は、紀元前250年ごろから紀元後70年ごろにかけて。
素材はほとんどが羊皮紙で、一部に牛皮やパピルスも含まれる。
言語はヘブライ語が中心で、約2割がアラム語、ごく一部がギリシア語だ。
中身の大半は旧約聖書本文と、それに関連する文書群で占められており、当時知られていた中で最古のヘブライ語聖書写本も含まれていた。
この文書群を誰が書き残したのかについては、実は今も議論が続いている。
長らくエッセネ派が書いたとする説が主流だったが、エルサレムのサドカイ派の祭司たちによるものだとする説や、まだ特定されていない別のユダヤ教内グループが関わっていたとする説も出てきている。
近年の研究では、クムラン以外の場所で複数の集団によって書かれた文書が、紀元70年のエルサレム陥落の混乱の中で運び込まれ、まとめて隠された可能性も指摘されているそうだ。

クムラン教団という共同体
伝統的な見方に立てば、死海文書の中核を担ったのは、当時のユダヤ教の一分派であるエッセネ派の共同体だ。
彼らは厳格な戒律を守り、私有財産を放棄して共同生活を送り、独自の暦(太陽暦を採用し、当時の神殿が用いていた暦とはずれていた)に従って祭儀を行っていたとされる。
彼らが残した『共同体の規則(セレク・ハヤハド)』には、入団の儀礼や日々の規律が細かく記されている。
そこに描かれる世界観がまた特徴的で、宇宙は「光の子ら」と「闇の子ら」の戦いの場として捉えられていた。
『戦いの書(戦いの巻物)』は、終末に光の子らが闇の子らを打ち破るという、壮大な終末戦争のシナリオを描いている。
共同体の規則の方は教団の憲法にあたる規律集で、戦いの書はその延長線上にある終末論的な軍記物語、という位置づけだ。
この二元論には、実はもうひとつ興味深い論点がある。
『共同体の規則』の中でも特に有名な「二つの霊の教え」は、神が人間の中に「真理の霊」と「虚偽の霊」—光の君と闇の天使—を置いた、と説く。
この構図は、ゾロアスター教の最古層の聖典に出てくる、善なる霊と悪なる霊が「真理」と「虚偽」のどちらを選ぶかという神話ととてもよく似ている。
ユダ地方は紀元前539年から332年ごろまで、約200年にわたってペルシア帝国の支配下にあった。
この間にゾロアスター教的な天使論や終末審判の発想がユダヤ思想に流れ込んだのではないか、という仮説は古くから議論されてきた。
ただし、決定的な違いもある。
ゾロアスター教(やのちのマニ教)の二元論では、光と闇はそれぞれ独立して永遠に存在する対等な原理だ。
一方クムランの「二つの霊」は、どちらも唯一神が創造したものとされ、最終的には神の支配下に置かれている。
厳格な一神教の枠の中に、二元論的な発想を折りたたんだような構造だ。
影響を認める研究者もいれば、ペルシア側の文献の年代確定自体が難しく、ユダヤ思想内部だけでも十分に説明できるとして慎重な立場を取る研究者もいる。
近年は、この「二つの霊の教え」自体が教団の規律文書全体を代表するものではなく、そもそもどこまで中心的な思想だったのか、という再検討も進んでいる。
この徹底した光と闇の二元論、そして「義の教師」と呼ばれる指導者をめぐる伝承(迫害され、非業の死を遂げたとされる)は、のちの初期キリスト教とも比較されることが多い。
洗礼者ヨハネやイエス自身が、こうした荒野の修行者たちの潮流と何らかの接点を持っていたのではないか、という仮説も根強くある。
ただしこれはあくまで仮説の域を出ず、死海文書そのものにキリスト教への直接的な言及は見つかっていない。

もっとも興味深い一群「安息日供犠の歌」
ここからが、今回いちばん書きたかった部分だ。
死海文書の中には、儀礼や終末論だけでなく、宗教的な「神秘体験」に踏み込んだ文書群がある。
その代表が『安息日供犠の歌(Songs of the Sabbath Sacrifice、天使の典礼とも呼ばれる)』だ。
1年の最初の13回の安息日に一篇ずつ対応する、全13篇からなる連作で、成立は紀元前100年ごろと推定されている。
内容は、天上に存在する神殿と、そこで祭司として仕える天使たちの様子を描き出すもので、天使たちの主な役目は神を賛美し、その栄光を歌い上げることにある。
エゼキエル書に登場する「神の戦車(メルカバー)」の幻視(車輪の中に車輪があり、その上に人の姿をした神の栄光(カヴォード)が座す、というあの有名な光景)を思わせる描写が随所にある。
そして面白いことに、この文書の写本は、クムランの9つの洞窟だけでなく、マサダからも1点見つかっている。
前回の記事で触れた、あのマサダの要塞跡だ。
この歌の写本は全部で10点確認されているが、うち9点はクムランの各洞窟から、残る1点がマサダから出土している。
ローマ軍に包囲される中、最後まで抵抗を続けた人々の中にも、この天使の典礼を携えていた者がいたということになる。
あの断崖の遺跡と、目の前で見た死海文書が、こんな形でつながっているとは思わなかった。
ただ、ここは少し補足しておきたい。
マサダに立てこもっていたのは、エルアザル・ベン・ヤイルに率いられたシカリ派と呼ばれる、熱心党(ゼロテ派)の中でも特に過激な一派だ。
「シカリ」とは短剣を意味し、彼らは服の下に短剣を隠し持ち、祭りや人混みに紛れてローマへの協力者や妥協的なユダヤ人同胞を暗殺していたことからこの名がついた。
ユダヤ側の抵抗運動の中でさえ「やりすぎだ」とみなされ、エルサレムを追われたという記録も残っている。
つまり彼ら自身は、瞑想的な神秘思想を育んでいた集団ではないように思われる。
あの「安息日供犠の歌」の写本は、シカリ派のなかの神秘主義者が書き記したものかもしれないし、エルサレム陥落の混乱の中で、神殿に仕えていた祭司層など別の人々がマサダに逃げ込む際に持ち込んだものかもしれない。
政治闘争に生きた過激派の砦の中に、天使の賛美歌が紛れ込んでいた、このギャップこそがこの巻物をいっそう印象的なものにしている。
これがメルカバー神秘主義の起源なのか
ここで、これまでのシリーズで触れてきた話をつなげたい。
ユダヤ神秘主義の系譜は、大まかに次のように語られることが多い。
【旧約聖書】エゼキエル書の幻視(前6世紀ごろ)
↓
【外典・偽典】第二神殿時代の黙示文学・エノク文書群(天使論の発展)
↓
【死海文書】クムランの「安息日供犠の歌」(前100年ごろ)
↓
【ユダヤ神秘文献】メルカバー神秘主義/ヘハロート文学(後2〜8世紀ごろに成立、天界の宮殿を巡る神秘的上昇を描く)
↓
【ユダヤ神秘文献】セフェル・イェツィラー(形成の書)
↓
【中世ユダヤ神秘主義運動】ハシデイ・アシュケナズ(中世ドイツの敬虔派)
↓
【古典カバラ文献】古典カバラ(『ゾーハル』、13世紀)
「安息日供犠の歌」は、この系譜の中でエゼキエル書と後代のメルカバー神秘主義とをつなぐ、失われた環(ミッシングリンク)ではないか、そう考える研究者は少なくない。
実際、ユダヤ神秘主義研究の大家レイチェル・エリオールは、神殿祭儀の伝統から、メルカバー(戦車)の伝統、そしてヘハロート(天上の宮殿)文学へと至る、連続した系譜があると論じている。
一方で、この見方には慎重な反論もある。
言語学者ノアム・ミズラヒらは、両者のあいだに主題やイメージの類似は確かにあるものの、文体や語彙を細かく比較する限り、「安息日供犠の歌」が何百年も後のヘハロート文学の書き手にまで実際に読み継がれていたことを裏づける証拠は見当たらない、と慎重な立場を取っている。
つまり、「クムランの神秘思想が直接カバラに受け継がれた」と単純に言い切ることはできない。
むしろ、似たような神殿・天使・上昇のモチーフが、ユダヤ教の中で時代を超えて繰り返し立ち現れてきた、という見方の方が今のところ学術的には妥当なようだ。

光と闇、そして「もう一つの側」
クムラン教団の光と闇の二元論には、もうひとつ興味深い後日談がある。
中世カバラ、とりわけ『ゾーハル』では、聖性の対極にある否定的な力を「シトラ・アヘラ(もう一つの側)」と呼ぶ。
神聖な流出の樹(生命の樹)と、その影のように存在する「不浄の樹」という発想だ。
クムランの「光の子ら/闇の子ら」という徹底した二元論と、ゾーハルの「生命の樹/シトラ・アヘラ」という構図を、系譜として直結させるのはさすがに強引すぎる。
ただ、ユダヤ思想の中に、これほど古い時代から「聖なるものには必ず対をなす影がある」という発想が存在していたことは興味深いことだ。
実際に見て、感じたこと
イスラエル博物館の「聖書の館(シュライン・オブ・ザ・ブック)」で、実物の断片を見た時間は、正直そんなに長くなかった。
でも、あの独特などっしりした静けさのある展示室で、2000年前に誰かが羊皮紙にインクを走らせた、その手の跡を見つめていると、「神秘主義」という言葉が急に抽象的でなくなる瞬間があった。
天使の歌を書き写していた人は、きっとリアルに、その歌を通して天上の神殿とつながっていたのだろう。
クムランの荒野で、あるいはマサダの断崖で、彼らが見ていたものと、何百年もあとにゾーハルを書いた人々が見ていたものは、同じではないかもしれない。
でも、「見えない世界に近づこうとする」という衝動は、たしかに地続きだったのだと思う。

次回予告
実はこの「見えない世界に近づこうとする衝動」は、ユダヤ教だけのものではない。
次回(第8回)は少し視点を広げて、世界中の宗教・神話(ヒンドゥー教、仏教、道教、北欧神話、ネイティブアメリカンなど30以上の伝統)が、驚くほどカバラと同じ構造を持っていることをまとめてみたい。

イスラエル旅行のツアーメンバーに、クムラン教団で修業をしていた過去生を持つ人がいたの。
詳細まで思い出したら、ぜひアレコレじっくり聞いてみたいわー♪
text: OMOMUKI magazine / CHAKA MAYO



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