OMOMUKI magazine ライター CIMAMUMA SAORI です。

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 おなじみの方、初めましての方、こんにちは。OMOMUKI magazine でライターをしている CIMACUMA SAORI と申します。

 北海道札幌市の奥座敷・定山渓温泉手前の簾舞(みすまい、と読みます)という地域で、ロシア紅茶が楽しめる東欧雑貨店を運営しています。店として使っている建物は築80年の小さな木造家屋。奥に庭と森がある環境がロシアのダーチャ(郊外にある別荘付き家庭菜園場)みたいなので「ダーチャ」と呼んでいます。

 私がロシアや東欧諸国に興味を持ったきっかけは、切手でした。世界中の古い切手をコレクションして小さなフレームに入れて飾ったり、昔の紙素材とコラージュしたり。猫年(日本ではうさぎ年)があるベトナムに猫年に猫切手を買いに行ったり、台湾の郵便局にオリジナル切手を作成に行ったりと、赴く旅のテーマは全般に郵便趣味でした。

 切手収集する中で、チェコスロバキア時代やポーランド(絵本画家グラビアンスキーさんの猫切手がお気に入り)、ブルガリアといった東欧諸国の切手デザインが特に面白く感じました。実際に足を運んでみるとどの国の人も人柄が良く、それからミイラ取りがミイラになったようにして、何度も仕入れ旅を兼ねて通うようになりました。

 これまでに訪れた東欧諸国はドイツ(ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒなど東ドイツ側)、チェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリア(ハプスブルク家がありかつてオーストリア=ハンガリー帝国だった)、ルーマニア、ブルガリア、ウクライナ、セルビア(旧ユーゴスラビア)、エストニア、ロシア、グルジア(ジョージア)、アゼルバイジャン、アルメニア。ヨーロッパや中央アジア、中東と呼ばれるエリアも混じっていますが、いずれも旧ソビエト連邦だった国々です。

 その他、訪れたことのある外国はイギリス(生まれて初めて赴いた外国になるはずが、トランジットで当初の予定以上に長い滞在時間になったロシアが初めての海外になりました)、台湾、中国、ベトナム、タイ、スペイン、モロッコ。トランジット宿泊など短い滞在ではラトビア、フィンランド、ドバイ、カタール、トルコ、韓国。

 懐古趣味があるので、どの国でもパスポートのスタンプ押印が楽しく、飛行機/船/自動車/列車 あらゆる乗り物スタンプが集まったことに喜ぶオタク気質です。

 国内での旅は、風景入通信日付印(略して風景印)収集や御朱印収集、口から南無阿弥陀仏でおなじみ空也上人の足跡を辿る旅、空海さんのファン熱が嵩じた四国遍路の区切り打ちなど。やはりオタク要素が高めです。

 ライターとしては、ロンドンや東京でカルチャー/オルタナティブマガジンの編集やライティングに携わったり、風景印のことを今はなき札幌タイムス誌(旧北海タイムス)に連載していました。コロナ渦で海外渡航を控えていた期間は10代の頃に難解過ぎて挫折した占星術の勉強を再開したり、電子音楽やアニメソングを好んだりと、全体に知的好奇心を満たす人生を謳歌しています。

 基本は能天気なオタク女史ですが、かつては自分と他者との境界が曖昧で同調しやすく、自身で感情のコントロールがうまくできず、元気な時は外交的過ぎて元気がないと外出できない引きこもりになる、いわゆる躁鬱(そううつ)状態を繰り返していました。

 感情の浮き沈みが激しいので喜怒哀楽も極端になり、疲れてしまう。やりたいことがあっても自分の陰の気に引っ張られてしまう。東京でフリーランスのライター業をしていた時に、そこを克服したくて自分に過度のプレッシャーをかけてしまったからなのか、自分が誰でここがどこで…といった一切合切がわからなくなる、何もできない状態に陥ったことがあります。

 あれは1999年の冬。締切の近い原稿を仕上げねばならず、当時住んでいた下北沢のアパートで、Mir(ミール)という愛称のPCに作った文章をコピーアンドペーストして校正して、また次のテキストを開き新たな文章を作成して…を繰り返していました。たぶん数にして20個くらいのテキストがデスクトップの中に開かれていました。自分でも「おかしいな」「あれ?あれ?」と思っていたらいきなり頭の中で爆発音がして、同時に目の前のPC画面が真っ白になりました。

 それから、今が昼なのか夜なのか、一体何時なのか。そもそも時間って?今というものがあるのだろうか?そもそも私って?私というものは本当に存在するのか?私と認識しているこの存在は本当に生きているのか、死んでいるのか…?一体ここはどこなんだ?地球なのか宇宙なのか、そもそも宇宙って?

 痴呆の人がある日わからなくなって遠くまで歩いてしまったという話を聞くことがありますが、その時の自分は同じ状態になったんじゃないかと思います。本当に、何もわからなくなりました。

 私を案じて、当時の友達(月の暦のよし子ちゃん、シェアハウスのひろさんなど)が代わる代わる様子を見にきて、付き添ってくれました。私が怪我したり事故が起きないようにとガスの元栓を閉めてボイラーの電源を落としてくれたのですが、それがわからなかった私は怯えました。

 立っているのか斜めに浮かんでいるのか、重力があるのかないのかわからないので、部屋にあった鏡を縦にしたり横にしたり、動いても自分の体の重みを感じないのでますます不可解で不安になりました。急激に喉が渇き、その時いてくれた友達に「水をくれ…」とおばあさんのような声で言ったこと、親に電話したけれど声が出せずずっと無言で受話器を握りしめていたことなど… 断片的に覚えています。

 携帯電話も持っていましたが、まだ家電話(固定電話)やファクシミリの方がメインで使用されていた時代でした。わからなくなりながら、どうやらいろんな人に電話をかけまくっていたことも、あとになって知りました。

 東京で見守ってくれた友達同士で「この状態は親御さんに連絡すべきだね」となり、連絡を受けた札幌の友達が実家に電話してくれました。この間、ずっと私は自分が火葬されると思い込み怯えていました。父親の生家では昔、亡くなった身内を自分達で弔っていたと聞いていました。大きな鉄板の上に亡骸をのせて焼くので、亡くなった人の体が火力で起き上がったりしたそうです。

 チベットには鳥葬というものがあり、インドでは川に亡骸が流れてくるといいます。西洋では亡骸をそのまま土に埋めるのでゾンビという概念というか化身が誕生したのかもしれません。日本では祈りや願いをかけて生きたまま仏になる即身仏(ミイラ仏)がいます。山形の鶴岡市に本明海上人という即身仏に会いに行ったことがありますが、座位のままこの世を去った上人の祈りの力と、肉がなくなった人の体の小ささに驚きました。 

 父親の生家の弔いの仕方は、最後まで家族で見守ってお別れをしたということで、今の自分なら土着的な愛の形と思えますが、その頃はまだそれが理解できず、自分も最後は火で焼き尽くされるということがトラウマにつながっていたのかもしれません。

 世田谷のアパートから羽田空港まで車で送ってもらう間、車のヘッドライトやテールライト、信号機、外灯、家々の窓の明かりなどのあらゆる光が、肉体を離れ、この世から旅立つ者(自分)を暖かく見守り、祝福を送っていました。自分とされる存在と世界が呼応しあって連動して、根源で繋がっている感覚。世界はひとつってこういうことだったのかなと涙が流れました。

 監視されている、幻聴や幻覚がある、いろんな症状があったので、脳波を調べたり大学病院の精神科へ通ったりしました。精神病棟への入院もすすめられましたが、精神科で処方される薬の副作用で舌がもつれ、うまく話せないことでまた不安が増すのが気持ち悪く、通院先を心療内科に変えましたが対応がどうもマニュアル通りに思えました。そこから独自で調べて前世療法やヒプノセラピー(催眠療法)、箱庭療法などさまざまな代替療法へ通い、少しずつ、正気に戻って行きました。

 もう無理だと思っていた車の運転がまたできるようになった。外に出て人と話せるようになった、アルバイトができるようになった。さらに一人旅できるようになった!ふつうに暮らすのは難しいのかなと絶望した時期もあったので、現実面では希薄な部分が多いのかもしれませんが、こうしてあの頃のことを振り返っている今は幸せだなぁと思います。

 もちろん今でも、落ち込んだり凹んだりすることはあります。母親の看取りをした時も後悔や懺悔の想いばかりが立ち上がっていました。でも、こんがらがって二度と解けないと思った糸を解いた経験からわかったことは、ネガティブなものが金輪際、消え去るわけではなく、物事に対する捉え方が変化(好転)するということ。対処法を知って自分でコントロールできるようになるということです。そしてあきらめずに歩みを進めていけば行くほど、落ち込んでも立ち直りが早くなったりそもそも落ち込むことが減ったりします。この心のあり方について体験することが、自分にとっては最大の関心事でこの世界で実感を深めていくことなのだと思います。

 この写真は、東京の友達から連絡を受けて実家に電話してくれた札幌の友達アヤちゃんが「復活祝いに」と贈ってくれた帽子をかぶった時のものです。まるでどこかの北方民族のような、魂の顔のような一枚です。 

 OMOMUKI magazine のデザイン担当 MARRS DESGIN さんは、東京にいた頃、初めてパソコン(それがMirです)を買う時に一緒に選んでくれ、ライター業をするにあたってのイロハを教えてくれた尊敬すべき兄貴です。その先輩とこうして WEB magazineを共に作りあげていること。旅や精神世界のことを共感できる CHAKA MAYO さんと互いに大好きな「書く」ことを行っていること。

 また、ここまで歩いて来るのに、家族を始め、たくさんの友人知人に見守られ、助けられ、勇気や元気をもらってきたこと。ここからは魂の恩返しのような感じで、必要なら自分が経験したことを交えて、たくさんの人と笑顔になって、好転すること発展することを共有したいなと思っています。

 ちょうど今、占星術の世界では木星が逆行中です。幸運の天体とされる木星が逆行している時は、過去に戻って出会うべき人と再会したり、果たせなかった課題と向き合える「幸いなるやり直しの期間」と言われています。このやり直し期間は2025年2月4日まで続くので、この期間にたくさんの「発展のためのやり直し」をしたいですね。

 昨年から uracima hoshiyomi という名前で占星術の活動を始めました。12月28日(明日!)は札幌地下歩行空間で占星術師として出現しますので、タイミング合えば遊びにきてね〜!

text: OMOMUKI magazine/CIMACUMA SAORI

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