以前、奪衣婆(だつえば)のことを記してから、ずっと気になっていることがあります。
それは「奪衣婆と老夫婦説のある「懸衣翁」(けんいおう)について、
一言も触れていなかった!」ということです。
奪衣婆と夫婦で登場することのある「懸衣翁」も紹介してあげないと!
三途の川に暮らす老夫婦:奪衣婆&懸衣翁
奪衣婆については前回の記事で紹介していますので、
リンクを貼っておきますね。おさらいしたい方、先に読みたい方はどうぞ。
三途の川が実在する?!しりあがり寿の奪衣婆 だつえばはファンキー!
奪衣婆(だつえば)
奪衣婆(だつえば)について、前回は記さなかったことがあります。
それは、奪衣婆がたくさんの愛称を持つということです。
早速、見てみましょう。
奪衣婆の愛称いろいろ:
脱衣婆(だつえば)、葬頭河婆(そうづかば)、正塚婆(しょうづかのばば)、
姥神(うばがみ)、優婆尊(うばそん)、綿のおばば、あと高田馬場..は違った..
いろんな呼び方がありますね。
あのコワモテなお婆(オババ)にこれだけたくさんの愛称があるということは、
庶民の中に「奪衣婆信仰」が根付いていた証だなぁと暖かい気持ちになります。
人は見かけではないかもしれませんね。
では、前回と重なる部分もありますが
奪衣婆について。
役割: 地獄の閻魔大王に使え、死者の罪の重さを計る役割を担っている。
具体的には、三途の川まで来た死者の衣服をはぎとって柳の枝で罪の重さを計る。
外見: ド迫力な表情で、老婆の姿をしている。胸をはだけ、剥ぎ取った衣類(布)を
手に持つことが多い。杖を持っていることもある。
象徴: 人間が物質的な執着を手放すことの重要性を象徴する存在。
衣類=生前=物質社会の象徴 を奪う行為を通して、死者の魂を浄化し新たな世界に導く
引導役。コワイ顔をしているけれど、一種の女神。神格化された厳格な女性性を表す。
懸衣翁(けんいおう)
次に、奪衣婆の夫として描かれることの多い懸衣翁(けんいおう/けんえおう)について
みてみましょう。
役割: 懸衣翁と奪衣婆は対になる存在。死者の衣服を受け取る役割を担っている。
具体的には、柳の樹上にいて奪衣婆から死者の衣服を受け取り計りにかける。
外見: 年人(老いた男性)の姿をしている。柳の木の上で衣服を持っていることが多い。
象徴: 死後の世界での死者の新たな生活の準備を象徴する存在。
死者が新しい存在として生まれ変わるサポート(変容)を奪衣婆と一緒に行う。
人が死後、赴くとされる新たな世界への引導役。魂の救済役。
奪衣婆と懸衣翁は、死者を地獄(あの世)へ送る引導役という役割が似ていることから
「夫婦」と表現されることが多いんですね。
柳の木の下と上にいて、死んだ人の罪の重さを計る存在なのでコワイ感じがしますが
仏教という世界観の、人が死んだあとに赴くという世界へ誘ってくれる
(付き添ってくれる、とも?)霊的な存在とも捉えられます。
この世では、死=生からの分離/孤独と位置付けられることが多いですが、
その移行期に付き添ってくれる二人に、厳しさと同居する優しさのようなものを
感じるのは、私だけでしょうか?
奪衣婆&閻魔大王の夫婦説もあるらしい
奪衣婆について調べていると、ちょいちょい見かけるのが
「閻魔大王との夫婦説」です。
え?奪衣婆って、あの世(よ)界隈ではけっこうモテるのかな?と思いましたが
これはどうやら、鎌倉時代とかに奪衣婆信仰が民衆に広がるにつれ、
説法(説教?)や地獄絵巻の絵解きなどに登場することが増えたためのようです。
そう、三途の川〜地獄という世界観を持つ
閻魔大王を中心とした仏教ランドでは、
奪衣婆は、閻魔大王よりもある意味、愛される存在になったのです。
奪衣婆が、日本で初めて登場したのは10世紀頃のことと言われています。
中国の『仏説閻羅王授記四衆逆修七往生浄土経』を元にした
『法華験記』(1043年)という経典に「媼(おうな)の鬼」という年老いた鬼女が
登場するのですが、この嫗の鬼の役割が、今でいう奪衣婆と同じだそうです。
奪衣婆は、平安時代の『地蔵十王経』に登場したり
12世紀末の偽経『仏説地獄菩薩発心因縁十王経』に登場したりしています。
「地蔵=閻魔大王のこと」という話もあります。
閻魔大王、奪衣婆、懸衣翁。みんな、鬼の形相をして厳格で、冷徹な印象ですが、
「実はそれっておっきなハート(愛)を持っているからこそ、できる役目なんじゃない?」
という捉え方もできます。
「菩薩」(ぼさつ)=サンスクリット語「ボーディ・サットヴァ」を音読みしたもの。
「菩提薩埵」(ぼだいさった)の略で、仏教では「菩提(悟り)を求める衆生」を意味します。
悟り!
むしろ「悟りたい」と煩悩が元気になって、ぜんぜんその境地に至らないのですが
悟りって響きを聞くと、心の湖面を優しく微風が過ぎていく感じがします。
どう生きるか=どう死ぬかという死生観
奪衣婆は存在が派手で目立つので、どんどん人物(キャラ)設定がふくらんで
鎌倉時代以降は「閻魔大王の奥さんだって」と噂されるまでになりました。
反対に、どんどん影が薄くなって、説法や地獄絵図の絵解きで
登場する機会が減っていった(出番がない)のが、懸衣翁です。
この現象、いかにも人間くさい現象だなぁと思います。
そうそう、冒頭で話した「奪衣婆の愛称」の中に
「綿のおばば」(綿のおばあさんとも)というのがありましたよね。
あれは、東京新宿区にあるお寺 正受院の奪衣婆に
「綿を奉納すると咳が治る」と信仰されたことが由来です。
「おばば」という愛称には、おばあちゃんの知恵=先人の知恵に
畏敬の想いが込められていたのかもしれないと思います。
それから『遠野物語』で有名な民俗学者の柳田国男は、
女性の霊力に関する呪術的な信仰(女神信仰)を紐解く『妹の力』(いものちから)で
「奪衣婆信仰は、古来の姥神信仰と中国伝来の信仰とが奪衣婆という形で
習合変化したものではないか」と考察しています。
霊性を女神性で捉える視点が日本的だなぁと感じます。
日本的な視点といえば、
「奪衣婆と懸衣翁が死者の衣服を剥ぎ取る」行為には、
「人は死ぬ」という、命が永遠ではないことを表すこの世の摂理的な意味と
生きながらに生まれ変わる「魂の変容」的な意味合いとが
重なってあるんじゃないかと思うのですが、どうなのでしょうね。
死後の世界= 物質世界
衣服= 物質、物質主義
衣服を剥ぎ取られること= 物質、物質主義からの脱却
衣服のない裸の世界= 精神世界
人間は生きていく中で何度も困難や試練に直面しますが、
それを乗り越えることで成長し、変化していきます。
時には「終わった」と絶望的に感じる場面もあるかもしれませんが、
それは必ずしも終わりではなく、新たな始まりの一歩となり得ます。
特に辛い時、誰かに励まされ支えられることは有難いことですが
時には「そんなもの捨てちまえ!」と衣服を剥ぎ取って叱咤激励してくれる
奪衣婆や懸衣翁のような存在は、私たちに執着や固定観念を捨て去る勇気を与えてくれる
気がします。
「地獄だ」と思って信じ込んで深刻に暗くなっているのは自分だけで、
そういう状態にツッコミを入れてくれるのが、奪衣婆と懸衣翁なのかもしれないな、と
思います。
彼らは、苦しみに閉じ込められた私たちのマインドを解放し、
変化を促してくれる力強い存在として描かれているのではないか?と思います。
「生と死」や「死後の世界」という根源的で大きなテーマについて、
人生の岐路や死ぬ瞬間の旅立ちにどんなに不安があっても、
それを支えてくれる奪衣婆や懸衣翁といった存在があるという捉え方は、
人間の根本的な希望や安心感を象徴しているような感じがします。
それにしてはなかなかにコワモテな形相をしてますケドね。

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