世界の宗教・神話が語る「同じ真理」─なぜ、みんな同じことを語っているのか

Culture

前回の記事では、マサダで感じた「生と死のあいだ」の話から、クムランに眠っていた「安息日供犠の歌」まで、死海文書とカバラをつなぐ糸をたどった。

でも実は、書きながらずっと引っかかっていたことがある。

「あれ、これ前にも見た」という感覚だ。

思い返してみればこの連載、最初からずっとその感覚とともにあった。

第1回で、生命の樹の三本柱(慈悲・峻厳・均衡)の話をしたとき、「道教でいう『陰陽の中道』、スーフィズムでいう『愛による統合』」と、さらっと書いた。

第2回で、隠れたセフィラ「ダアト」の体験─主体と客体が消える瞬間─を、「禅でいう『見性』、スーフィズムでいう『ファナー(自我の消滅)』」と重ねた。
ティファレトのところでは「キリスト意識、仏陀意識、ルーミーが語った『神的な愛』」とも書いた。

第3回では、ネオプラトニズムの「一者からの流出論」が、エイン・ソフからセフィロトへの流出とほぼ同じ構造を持つこと、ゾロアスター教の天使論や善悪の宇宙的戦いがセフィロトやクリポットの発想に影響した可能性、そしてハシディズムの踊りが「ルーミーの旋回舞踊と、驚くほど似ている」ことに触れた。

毎回、ちらっと出してはそのまま流してきた話。

今回は、これを正面から取り上げてみたい。
ヒンドゥー教、仏教、道教、北欧神話、ネイティブアメリカン─30以上の伝統を並べてみると、見えてくるものがある。

生命の樹、おさらい

カバラでは、無限なる神性(エイン・ソフ)から、10のセフィラと22のパスからなる生命の樹が流出する。
アツィルト(流出界)、ベリアー(創造界)、イェツィラー(形成界)、アッシアー(物質界)という「四つの世界」を通って、神性はどんどん物質へと近づいていく。
人間は一番下のアッシアーにいながら、樹を上昇することでもとの源へ還ろうとする─これが第2回で見た大枠だった。

この「一なるものから多が流出し、段階を経て降り、そして再び昇っていく」という構図。
第3回でも書いた通り、これはネオプラトニズムともほぼ同じ構造を持っている。
そして実はこれ、地球上のかなり広い範囲で、独立に(少なくとも表面上は)語られてきた物語なのだ。

世界樹というモチーフ─宇宙の中心に立つ樹

生命の樹に一番近い視覚的モチーフは、おそらく「世界樹」だろう。
宇宙の中心に一本の樹が立ち、天と地下をつないでいるという発想は、驚くほど広範囲に分布している。

伝統樹の名前特徴
北欧神話ユグドラシルトネリコの巨木。三本の根がそれぞれ冥界ニヴルヘイム、神々の国アースガルズ、巨人の国ヨトゥンヘイムに達し、九つの世界を支える
マヤ文明セイバ(ワカ・チャン)天界13層・地界・冥界9層を貫く聖木。四方位とも結びつく
中国神話建木天と地の中心に生え、神々が昇降する梯子とされた樹
ヒンドゥー神話アシュヴァッタ(聖なるインドボダイジュ)根を天に、枝を地に伸ばす「さかさまの樹」として『バガヴァッド・ギーター』にも登場
シベリア諸民族各部族固有の聖樹シャーマンが樹を伝って天界・地下界を行き来する
ハンガリー神話アズ・エーギグ・エーレ・ファ「天まで届く樹」。タルトシュ(シャーマン)が上る
ゲルマン神話(大陸)イルミンスールザクセン人の聖なる柱。世界を支える軸とされた
ヨルバ神話(西アフリカ)イロコ精霊が宿るとされる聖木

これに、ユダヤ教のエデンの園の「生命の樹」を加えれば、実に多くの文化圏で「世界の中心に一本の樹が立つ」というイメージが共有されていることになる。
学術的には、これらすべてが一つの起源を持つとは考えられていない─各地で独立に生まれた可能性が高い、というのが穏当な見方だ。
それでも、なぜ人類はこれほど繰り返しこの形にたどり着くのか、という問いは残る。

多層構造の宇宙─ヒンドゥー教とカバラの「四つの世界」

ヒンドゥー哲学、とりわけウパニシャッドには「五蔵説(パンチャ・コーシャ)」という考え方がある。
人間は五つの層(食物でできた体、気でできた体、意でできた体、識でできた体、歓喜でできた体)が入れ子になってできている、というものだ。
ここに、7つのチャクラ(あるいはサハスラーラを含めて7)が縦に並ぶという身体観が重なる。

この「粗大な層から微細な層へ」という発想は、カバラの四つの世界(アツィルト・ベリアー・イェツィラー・アッシアー)と構造的にかなり近い。
実際、西洋のオカルト思想の中では、セフィラとチャクラを対応づける試みが古くからなされてきた。
これは学術的な系譜というより、19〜20世紀の神智学やヘルメス主義的統合の産物である点には注意が必要だが、「意識には段階があり、修行によって上昇できる」という発想そのものは、両方の伝統に独立して存在していた。

カバラ(4つの世界)ヒンドゥー(5つのコーシャ/チャクラ)共通する発想
アツィルト(流出界)アーナンダマヤ・コーシャ(歓喜の鞘)神性・至福に最も近い層
ベリアー(創造界)ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ(識の鞘)純粋な意識・知性の層
イェツィラー(形成界)マノマヤ・コーシャ(意の鞘)感情・心理が形成される層
アッシアー(物質界)アンナマヤ・コーシャ(食物の鞘)物質・肉体の層
ヒンドゥー教の7つのチャクラ。カバラの「四つの世界」と、驚くほど似た階層構造を持つ。

三分説の魂─ネフェシュ・ルーアハ・ネシャマーは孤独ではない

第6回で紹介したネフェシュ(生命力)・ルーアハ(感情・気性)・ネシャマー(高次の知性)という魂の三層構造。これもまた、単独の発想ではない。

伝統魂の区分おおまかな対応
ユダヤ教(カバラ)ネフェシュ/ルーアハ/ネシャマー(+ハヤー、イェヒダー)生命力/感情/知性(上位2つは高度な段階でのみ言及される)
古代エジプトカー/バー/アク生命力(カー)/個性・移動する魂(バー)/死後に変容した霊(アク)
道教・中国医学魂(コン)/魄(ハク)陽の霊魂(死後は天へ)/陰の霊魂(死後は地へ)
プラトン(古代ギリシャ)理性(ロゴス)/気概(テューモス)/欲望(エピテューミア)『国家』で語られる魂の三分説。理性が御者、気概と欲望が二頭の馬
道教(内丹)精(せい)/気(き)/神(しん)精=基礎物質、気=動力、神=精神。不老長生の修行はこの三宝を練ることに集約される
スーフィズムナフスの7段階(ナフス・アル=アンマーラ〜ナフス・アル=サーフィヤ)低次の欲望に支配された魂から、浄化された最高段階へ

魂を「肉体に近い層」「感情・エネルギーの層」「もっとも高次で神性に近い層」の三つに分けるという発想は、地理的にも文化的にもかけ離れた場所で繰り返し現れている。

四方位・循環する宇宙─ネイティブアメリカンと陰陽五行

ネイティブアメリカンの伝統に見られる「メディスンホイール」は、東西南北の四方位に季節・人生の段階・色などを配置した円形のシンボルだ。
東は誕生と夜明け、南は成長、西は収穫と黄昏、北は英知と再生─という具合に、生命の循環そのものを地図にしている。

中国の陰陽五行説も、木・火・土・金・水という五つの要素の生成と抑制の循環によって、宇宙のあらゆる変化を説明しようとする体系だ。
どちらも「対立するふたつの力(陰と陽、あるいは季節の巡り)」と「循環する時間」という発想を土台にしている。

第1回で触れた通り、生命の樹も「慈悲の柱(右)」と「峻厳の柱(左)」、それを均衡させる「均衡の柱(中央)」という三本柱構造を持つ。
対立する二極とそれを調和させる中心軸、という発想は、ここでも繰り返されている。

ネイティブアメリカンの伝統に見られる四方位のシンボル。生命の循環そのものを地図にしている。

降下と上昇の物語、そしてスーフィズムという一番近い他人

「一なるものから多が流出し、物質へと降下し、そして意識が上昇してもとに還っていく」という物語の型そのものも、複数の伝統で独立に語られている。

  • ネオプラトニズム(プロティノス、3世紀):第3回で触れた通り、「一者(ト・ヘン)」から「叡智(ヌース)」「魂(プシュケー)」、そして物質界へと段階的に流出する。魂は観想によって一者への還帰をめざす。
  • グノーシス主義:至高の神から複数のアイオーン(永遠者)が流出し、最下層でこの物質世界が生まれる。人間の内なる神的な火花(プネウマ)が、グノーシス(霊知)によって上昇する。
  • 道教の内丹術:精を気に、気を神に、神を虚に還す(煉精化気・煉気化神・煉神還虚)という三段階の修行体系。物質的な精から出発し、最終的に「道」そのものへ還る。
  • 仏教の階梯思想:菩薩の十地(じゅうじ)のように、意識のレベルを段階的に上昇させ、最終的に涅槃・仏性の実現をめざす。

カバラのツィムツム(神の自己収縮)とシェビラット・ハ・ケリム(器の破砕)、そしてティクン(修復)という一連の物語(第3回・第4回で扱った)も、まさにこの「流出・降下・上昇」というプロットの一変奏として読むことができる。

そして、ここまで何度も名前だけ出してきたスーフィズムに、ちゃんと向き合いたい。
第2回でダアトの体験を「ファナー(自我の消滅)」と重ねたことを覚えているだろうか。
スーフィズムには、「ナフス(魂・自我)」が7段階を経て浄化されていくという教えがある。
低次の欲望に支配された「ナフス・アル=アンマーラ」から、自らを省みる「ナフス・アル=ラウワーマ」を経て、最終的には神と一体化する最高段階「ナフス・アル=サーフィヤ」へと至る。
この多層構造は、ネフェシュ・ルーアハ・ネシャマーや、ヒンドゥーの五蔵説と、発想の型がほぼ同じだ。

さらにスーフィズムには「ファナー(自我の消滅)」と、その後もなお神の現前にとどまり続ける「バカー」という境地がある。
自我を手放し、神性の中に溶け込んでいくというこの神秘体験は、カバラの「ビトゥル(自己無化)」や「デヴェクート(神との合一)」と驚くほど近い。

重要なのは、これが単なる偶然の一致ではなさそうだという点だ。
研究者たちは、13世紀のイベリア半島(スペイン)でスーフィズムの大成者イブン・アラビーと、『ゾハル』の実際の著者とされるモーセ・デ・レオン(第3回で紹介した)が、地理的にも時代的にも非常に近い場所で活動していたことを指摘している。
両者の間に直接の師弟関係があったとまでは言えないが、当時のイベリア半島はユダヤ教徒・イスラム教徒・キリスト教徒が知的に交わり合う稀有な場所であり、神秘思想同士が影響し合う土壌が十分にあった。
第3回で見たゾロアスター教の影響も、同じ種類の「実際に隣り合っていた」話だった。
つまりスーフィズムとカバラの類似は、「人類の元型」という話だけでなく「実際に机を並べていた」可能性が高い、数少ない事例なのだ。

自我を手放し、神性に溶け込んでいく—スーフィズムの神秘体験は、カバラの「デヴェクート」と驚くほど近い。

まとめ表──構造の対応一覧

構造の型カバラでの現れ方他の伝統での主な現れ方
世界の中心にある垂直軸(樹・柱)生命の樹ユグドラシル(北欧)、セイバ(マヤ)、建木(中国)、アシュヴァッタ(インド)、イルミンスール(ゲルマン)ほか多数
多層構造の宇宙・意識四つの世界(アツィルト〜アッシアー)五蔵説・チャクラ(インド)、道教の三清、仏教の三界(欲界・色界・無色界)
魂の多層説ネフェシュ・ルーアハ・ネシャマーカー・バー・アク(エジプト)、魂・魄(中国)、理性・気概・欲望(プラトン)、精・気・神(道教)、ナフスの7段階(スーフィズム)
対立する二極と均衡慈悲の柱・峻厳の柱・均衡の柱陰陽(中国)、メディスンホイールの四方位(北米)、ゾロアスター教の光と闇
流出・降下・上昇のプロットツィムツム〜シェビラット・ハ・ケリム〜ティクンネオプラトニズムの一者からの流出、グノーシス主義のアイオーン論、道教の内丹、仏教の十地、スーフィズムのファナー・バカー

これで、ざっと数えても20の伝統は超える。
ほかにシク教の「パンジ・カンド(五つの境地)」、ジャイナ教の多層宇宙観、ケルト神話のオセア(他界)観、アボリジニのドリームタイム、シベリア・シャーマニズムの上・中・下三界構造などを加えれば、30を超える伝統に同じような骨格を見出すことができる。

なぜ、みんな同じことを語るのか─ふたつの説明

この問いには、大きく分けてふたつの答え方がある。
どちらか一方が「正解」というわけではなく、私はこの両方を並べて持っておくのがいいと思っている。

説明1:元型論(アーキタイプ)

心理学者ユングは、人類には「集合的無意識」という共通の心的基盤があり、そこに宿る元型(アーキタイプ)─太陽、樹、影、賢者、円環といった普遍的なイメージ─が、文化を超えて似たシンボルを生み出す、と考えた。
人間の脳の構造や、生まれてから死ぬまでの普遍的な経験(誕生、成長、老い、死)が共通している以上、それを説明する物語の型も自然と似てくる、という立場だ。

宗教学における「永遠の哲学(Perennial Philosophy)」という考え方も、方向性としてはこれに近い。
オルダス・ハクスリーが1945年に同名の著作でまとめたこの立場は、あらゆる宗教の神秘主義的な核には単一の超越的な真理があり、それぞれの文化がそれを固有の言葉で語り直しているにすぎない、とする。

説明2:伝播・接触論

一方で、宗教学・人類学の主流はもう少し慎重だ。
「永遠の哲学」的な立場に対しては、それぞれの伝統の歴史的文脈や違いを均してしまう、という批判が根強くある。
実際、ユーラシア大陸内であれば、シルクロードや交易路を通じて思想が伝播した可能性は十分にある─第3回で見たゾロアスター教の影響や、アレクサンドロス大王の東方遠征以後のギリシャ哲学との出会いが、まさにその実例だった。
そして今回紹介したスーフィズムとの関係は、この伝播論を裏づける一番わかりやすい例だ。
中世イベリア半島という、同じ場所・同じ時代に育った神秘思想同士が、似た結論にたどり着いたのは、偶然というより必然に近い。

ただし、ユーラシアとまったく接触のなかったはずの北米大陸やマヤ文明にまで「世界樹」や「四方位の循環」といったよく似た構造が見られる点は、単純な伝播だけでは説明しきれない。
ここで初めて、元型論のような「人類に共通する何か」という発想が意味を持ってくる。

かたちは違っても、骨格は同じ。人類が繰り返し描いてきた宇宙の設計図。

私の立場

「唯一の正しい説明」を急いで決めつけるより、伝播の跡をたどれるところはたどりながら、それでも説明しきれない共通性については「人類にはそういう構造を生み出す何かがあるらしい」と、謎を謎のまま抱えておく方が誠実だと思う。

それに、たとえ起源が別々であっても、これだけ多くの伝統が似た地図を描いてきたという事実そのものが、ひとつの手がかりにはなる。
少なくとも、カバラという体系が「ユダヤ教だけの特殊な思想」ではなく、人類が繰り返し語ってきた大きな物語の、ひとつの精緻なバージョンだということは言えそうだ。

次回予告

第9回は、カバラ的な世界観そのものを俯瞰しながら、少し大きな話に踏み出したい。
一なる者からの流出、段階を経た降下と上昇─今回見てきたような「カバラ型」の世界観と、八百万の神々が並び立つ「神道型」の世界観。
人類の文明は今、どちらに向かおうとしているのか、という話をしてみたい。

ちょっと小難しい内容だけど、宗教の共通点を並べてみるとおもしろいよね。
じゃあ世界の秘教と日本の古神道を比べてみると、何がどう違うの?ってとこを次回は掘ってみようと思う。

text: OMOMUKI magazine / CHAKA MAYO

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