イスラエル&パレスチナ、重なり合う聖地を歩く

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戦争のさなかに、聖地へ行ってみた

2026年6月、8日間かけてイスラエルとパレスチナを巡ってきた。
イランとイスラエル、イスラエルとレバノンが戦争中だったので、安全確保のためにツアーで旅することにした。

エルアル・イスラエル航空の直行便で成田からテルアビブへ、そこからエルサレム、ベツレヘム、死海、ティベリア、そして最後はガリラヤからナザレを抜けてテルアビブへ戻るという、王道と言えば王道だけど、実際歩いてみるとやっぱり濃い旅程。

カバラ・シリーズ⑥でも少し触れたけど、あの記事はこの旅での体験を書いたものだ。

今回はシリーズとは切り離して、単純に「旅」として、歩いた場所と感じたことを残しておきたい。

密度の高い一日 ~ シオンの丘から新市街、また旧市街へ

テルアビブ到着が22:45。
その夜のうちにエルサレム入り。
そして二日目(6/19)、いきなりこの旅で一番密度の濃い一日がはじまった。

朝、まず旧市街からシオンの丘へ。
最後の晩餐の部屋、そして鶏の鳴き声にちなんで名付けられた鶏鳴教会(ペテロがイエスを三度知らないと言った場所とされる)。
午前中だけで新約聖書の重要な場面を二つ、続けて踏むことになる。

イエス・キリストと弟子たちが、最後の晩餐を過ごしたとされる部屋。当時はダヴィンチの絵画のようなテーブルと椅子ではなく、床に車座に座って手づかみで食べていたそう。
鶏鳴教会の「地下の古代の階段」は、イエスが大祭司の家で尋問された後に、地下牢に降ろされたときに通ったという。

そこから一転して新市街へ移動し、イスラエル博物館。
死海文書の実物(の一部)が展示されている場所でもあって、翌々日に訪れるクムランの前段として、頭の中で線がつながる感覚があった。

1968年以来初めて、イザヤ書大巻物の全巻が公開された死海文書。約2000~2300年前に書かれたもの。

ランチはお洒落なイタリアン。
聖地巡りの合間にふと現代的な時間が挟まるこのギャップも、この旅らしいところ。

エルサレムの旧市街近くにあり、お店が立ち並ぶアンブレラ・ストリート。
アンブレラ・ストリートにあるイタリアン。イスラエルのハイテク農業で生産された野菜が美味しくって、何を食べてもホント旨い♪

午後、また旧市街へ戻ってヴィア・ドロローサ、聖墳墓教会、そして西壁(嘆きの壁)。

ヴィア・ドロローサは、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘(処刑地)まで歩いたとされる道。その足跡をたどった。
聖墳墓教会は、イエスの処刑と埋葬の地とされる場所。6つのキリスト教宗派(ギリシャ正教、カトリック(フランシスコ会)、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会、エチオピア正教会)が管理を分担している。
西壁(嘆きの壁)はユダヤ教で最も神聖な祈りの場所。紀元前1世紀、ヘロデ大王が築いた擁壁の一部で、神殿破壊を免れた唯一残る壁。

ユダヤ教・イスラム教・キリスト教、それぞれの中心的な聖地が、歩いて数分の距離に折り重なるように存在してる。
この密度感は、写真や説明を読むだけじゃ絶対に伝わらない。
実際にその石畳を踏んで、狭い路地を曲がった瞬間に急に開ける広場に出て、初めて「あ、これが三千年分の重みか」って腑に落ちる感じ。

エルサレムの旧市街は清濁併せ吞むような、神聖さも重苦しさも荘厳さも雑多さもないまぜになったエネルギーで、私はかなり気に入ってしまった。

エンカレムから園の墓、そしてベツレヘムへ

三日目(6/20)は、また少し違う角度からエルサレム周辺を巡る一日。

まずエンカレムのマリア訪問教会へ。
ファサードに掲げられたモザイクには、ルカによる福音書の「すなわちマリア立ちて、急ぎ山里に往きて」の一節が刻まれていて、マリアがエリサベトを訪ねた「お告げ」の場面を今もこうして建物として残しているのが不思議な感じがした。

女性性を感じる明るくてやわらかなエネルギーに満ちたところだった。

マリア訪問教会はマリアがエリサベトを訪ねた場所で、洗礼者ヨハネの父ザカリアと母エリサベトの家があった場所でもある。

そこから園の墓へ。
すぐそばに見える、頭蓋骨のような窪みを持つ岩肌。
ゴルゴダの丘とされる場所。
聖墳墓教会とは別に、プロテスタント系の巡礼者を中心にこちらを「本当の処刑と埋葬の地」とする説もあって、同じ出来事に対して複数の「聖地」が並び立ってるのも、この土地らしいところだと思う。

園の墓のそばに広がる、頭蓋骨のような岩肌。ゴルゴダの丘とされる場所。

そこからパレスチナ自治区のベツレヘムへ移動。
分離壁に描かれたバンクシーの作品をいくつか見てから、聖誕教会へ。
内部は金色の聖障とおびただしい数のランプで埋め尽くされていて、薄暗い空間に灯りだけがゆらゆら反射する光景は、それまでの乾いた石の街並みとはまったく違う質感だった。

「The Walled Off Hotel」はバンクシーが企画・資金提供・デザインを手掛けたホテル。“世界で最も眺めの悪いホテル”として知られ、窓の外には高さ8mの分離壁が広がる。
分離壁に描かれた、バンクシーの「花束を投げる人」。2003年の作品。
イエスが生まれたとされる場所に建つ「聖誕教会」。339年、コンスタンティヌス帝の母ヘレナによって最初に建てられたとされ、現存するキリスト教会の中でも最古級のもの。

すぐ隣の聖カタリナ教会は対照的に明るく、天井まで抜ける身廊とバラ窓が印象的。
クリスマスのミサ中継でよく映るのはこちらの教会。

聖誕教会のすぐ隣、明るく開けた聖カタリナ教会。フランシスコ会(カトリック)が管理する教会で、現在の建物は1881年に再建されたもの。

夏至のご来光から、神秘的なクムラン洞窟、死海へ

四日目(6/21)は朝がすごく早かった。
しかもこの日はちょうど夏至。
オリーブ山から見るご来光は、一年で一番早く昇ってくる太陽ということもあって、待ってる間の空気からして特別な感じがした。

夏至の朝陽が昇る神聖な時間を、オリーブ山から眺めていた。中央に岩のドームが見える。

そのまま神殿の丘へ(入場は7時から10時の限られた時間帯のみ)。
金色に輝く岩のドームを間近で見上げる。
エルサレム全体を見渡せるあの丘の上の光は、正直この旅で一番心に残ってる景色のひとつ。

岩のドームはイスラム教の聖地であり、ユダヤ教にとっても最重要の場所。

その足でクムランへ。
死海文書が発見されたあの洞窟群のうち、普段はほとんど立ち寄らないという洞窟に案内してもらえた。
記事⑦で書いたクムランの話は、まさにこの日の体験がベース)。

案内してもらった洞窟は、乾いた石灰岩の崖にぽっかり空いた二つの穴。
何もない荒野に、こんな小さな穴から二千年分の写本が出てきたという事実が、目の前の何の変哲もない岩の風景とあまりに釣り合わなくて、逆にリアルだった。

洞窟群の近くにはエッセネ派(当時のユダヤ教の一派で、禁欲的な共同生活を送っていたとされる)の集落跡があり、この人たちが写本を書き、隠したのではないかという説が有力。

ランチはキブツ・エンゲディで。
実はここ、マサダに立てこもったシカリ派(熱心党の過激派)が襲撃したとされる村の名前がそのままキブツ名になっている場所。
ヨセフスの記録では、過越の祭の最中に村人およそ700人が殺されたと伝えられている。
緑豊かなオアシスでのんびりランチを食べながら、その足で翌日にはマサダに立つことになるという巡り合わせに、変な感慨があった。

キブツは、20世紀初頭のシオニズム運動の中で生まれた、土地や労働を共有する農業コミュニティ。

そして死海。
浮遊体験、やっぱり実際に体験してみるって大事!

砂浜じゃなくて塩浜だし、海の底も塩。
塩の結晶が肌にじゃりじゃりする感触とか、陽射しが強くて暑くて温泉のような海水に仰向けで浮かんだときの空の広さとか、実際に体で覚えるタイプの記憶になった。

死海に入るとめちゃくちゃ浄化される。

地球で一番低い場所にある、塩分濃度30%の死海。味はしょっぱ過ぎて苦い(笑)。

マサダの絶壁、そしてガリラヤ湖畔へ

五日目(6/22)、マサダ。
ユダヤ戦争末期、ローマ軍に包囲された末に集団自決を選んだとされる要塞跡。
断崖の上に立って見下ろす景色は圧巻だけど、そこに刻まれてる歴史の重さを思うと、単純に「絶景」だけでは片付けられない場所。

私の過去生の故郷に、約2000年ぶりに里帰りした。

もとはヘロデ大王が紀元前1世紀に築いた離宮兼要塞。西暦66年に始まったユダヤ戦争(対ローマの反乱)の末期、シカリ派約960人がここに立てこもり、最後は集団自決した。

その後、パレスチナ西岸地区のイエスの受洗の地へ。
ヨルダン川のほとりで洗礼の場面を思い浮かべながら、そこからエリコへ移動してランチ。
世界最古の街のひとつと言われる場所で、パレスチナ料理を満喫した♪

イエスが洗礼を受けたとされるヨルダン川のほとり。対岸はヨルダン領。白い衣をまとった巡礼者たちが今も川に入る。
パレスチナやヨルダンの伝統料理「マンサフ」。大皿に山盛りにしたごはんの上に羊肉を載せ、ヨーグルトソースをかける。
紀元前8000年頃にはすでに人が住んでいたとされ、「世界最古の街」のひとつであるエリコの遺跡。

この日の宿はティベリアのマグダラホテル。
ガリラヤ湖のほとりに建ち、敷地内に遺跡とマグダラのマリア教会があって、やさしくやわらかなエネルギーに包まれた最高のホテルだった。

マグダラのマリア教会。イエスの弟子でもあり妻でもある、マリアの出身地とされる場所。「沖へ漕ぎ出しなさい」というイエスの言葉にちなんで、船が飾られている。
妊娠中のマグダラのマリア像を飾っているのは、世界広しといえどもこの教会だけ。ホテルの建設中に紀元1世紀のシナゴーグ跡が見つかり、敷地内に「フラワーオブライフ」の遺跡が展示されている。

ガリラヤ湖畔をめぐる一日

六日目(6/23)は、ガリラヤ湖の周りに点在する新約聖書ゆかりの地を一気に回る一日。

まずタブハへ。
パンと魚の奇跡の教会。
ベネディクト会の修道院らしい落ち着いた佇まいで、赤い瓦屋根とアーチのある回廊、そして中に入ると床一面に広がるビザンチン時代のモザイク。
鳥や蓮の花が繊細な色合いのタイルで描かれていて、これが千五百年近く前のものだというのがちょっと信じがたい美しさだった。

五千人に食事を分け与えたとされる場所に建つ「パンと魚の奇跡の教会」。

すぐ近くのペテロ召命教会は対照的に、黒い玄武岩を積んだ素朴な佇まい。
小さな鐘塔が湖畔にぽつんと建っている。
堂内に入ると、床から突き出た大きな岩が目に飛び込んでくる。
「メンサ・クリスティ(キリストの食卓)」と呼ばれる岩で、復活後のイエスが弟子たちのために魚を焼いて食事をしたとされる場所。
祭壇というより、素の岩がそのままご神体みたいに扱われてるのが印象的だった。

ペテロ召命教会は、祭壇ではなく素の岩がそのまま祈りの対象になっている。

そこからカペナウムへ。
イエスの布教活動の拠点になった町で、白い石灰岩でできた古代シナゴーグの遺跡がそのまま残っている。
柱の一本一本に刻まれた装飾を間近で見られるのは、写真で見るのとはやっぱり違う迫力があった。

カペナウムは、イエスの布教活動の拠点になった町。

すぐ隣には「聖ペテロの家」の遺構の上に建てられた近代的な教会があって、中央のガラス床から下の遺跡をそのまま見下ろせる造り。
伝承ではペテロの家の跡とされていて、遺跡の上にそのまま礼拝空間を重ねてしまう発想自体が面白い。

ペテロの家の遺構だと伝えられている。

最後に山上の垂訓教会へ。
「心の貧しい人々は幸いである」ではじまるあの説教が語られたとされる丘の上に立つ教会。

1938年、イタリア人建築家アントニオ・バルルッツィの設計で建てられたもので、八角形の平面は「八つの祝福」を象徴している。
灰色の玄武岩とクリーム色の石を組み合わせた外壁に、黒っぽいドーム屋根。
ヤシの木越しにガリラヤ湖を見下ろす立地で、アーチの連なる回廊を歩くだけで気持ちがいい場所だった。

一日の締めくくりにふさわしい、静かで見晴らしのいい場所だった。

八角形の教会、八つの祝福を象徴する形。

そしてガリラヤ湖の湖上遊覧。
新約聖書の物語の舞台を実際に船に乗って見渡せたのは、想像以上に体感として響くものがあった。

船着き場のまわりは湖水浴を楽しむ人たちで賑わっていた。

イスラエルと日本の国旗が掲げられ、みんなでマイムマイムを踊ってからダンスタイムへ。

ナザレとキブツ ~ 最後の一日

七日目(6/24)、最終日はナザレからはじまった。

まず受胎告知教会。
西アジア最大級のカトリック聖堂で、外観からしてとにかく巨大。
ファサードには「NUNTIAVIT MARIAE(マリアに告げられた)」の文字と、天使とマリアを描いたレリーフ。

設計は1969年、イタリア人建築家ジョヴァンニ・ムツィオ。塔の先端は、逆さにした百合の花をかたどっているという。

地下に降りると、マリアが受胎告知を受けたと伝わる洞窟。
祭壇には「VERBUM CARO HIC FACTUM EST(言葉はここで肉となった)」の文字。
岩をくり抜いただけの素朴な空間に、この教会でいちばん大事な場所が収まっているという構成が印象的だった。

この場所には、ビザンチン時代・十字軍時代と、何層もの教会が重なって建てられてきた。

上に戻ると、今度は打って変わって開放感のある近代建築の礼拝堂。
壁には世界各国から贈られた聖母子像が並んでいて、それぞれの国の様式でマリアとイエスが描かれてる。
日本からも贈られたモザイクがあり、一つの聖堂の中に世界中の「聖母子観」が同居してる感じがすごく面白かった。

上と下で、まったく空気の違う二つの礼拝堂が重なっている。
作品名は「華の聖母子」、モデルは戦国時代のキリシタン大名夫人「細川ガラシャ」だそう。

その後、死海のほとりで寄ったキブツ・エンゲディとはまた別のキブツ・エインシェメルにも立ち寄った。
開拓時代の暮らしをそのまま再現した資料館もあって、当時の道具や食器、蓄音機なんかがマネキンと一緒に展示されてる。
二千年前の聖地の話をずっと追いかけてきた旅の最後に、20世紀のイスラエル建国前後の「もう一つの歴史」を挟み込む構成になったのは、偶然だけど良い締めくくりだった。

広い敷地内に農業はもちろん酪農もあり、大規模なコミュニティだった。

19:15発のLY91で機中泊、翌13:20成田着。
8日間、ぎゅっと詰まった旅だった。

イスラエル&パレスチナ旅の感想

マグダラのマリア教会のエントランス横。旅のなかで一番好きになったのがこの教会とホテル。

今回歩いてみて改めて思ったのは、この土地は「聖地」というひと言でまとめるにはあまりに層が厚すぎるということ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの信仰の中心が物理的に重なり合っていて、しかもその重なりが今この瞬間も政治的な現実として生きている。

パレスチナからイスラエルへ移動する際の検問では、銃を持ったイスラエル兵2名がバスに乗ってきた。
街中にも銃を持った兵士が至るところにいる。
複雑な歴史的背景と宗教が絡み合い、かなり特殊な国だということを肌感覚でも実感した。

イスラエルとパレスチナ問題について、ずっと関心を持って追い続けてきた。
イスラエルvsハマスの戦争前までは、「天井のない牢獄」と呼ばれていたガザ。
戦争がはじまってからは、ジェノサイドや民族浄化と呼ばれるほどガザの人たちは過酷な状況に陥っている。
ただイスラエル側にも言い分があり、マスコミのプロパガンダもあって自国の正当性を信じているユダヤ人が多いことも知った。

ひと筋縄じゃいかない問題だけど、まずはやっぱり知ることが大事なんだと思う。
実際にその土地へ行って、五感でしっかり感じて知識と体験を結びつけること。
どちらか一方の言い分を鵜呑みにするんじゃなくて、両方の側にそれぞれの歴史と現実と痛みがあるということを、頭だけじゃなく肌で理解しようとし続けること。

この旅で得られたのは、答えじゃなくて、そういう地に足のついた「わからなさ」だった気がする。
未知を知り、無知を知る。
知れば知るほど見えてくるのは、自分は何も知らないということ。
結局そこなんだよね。

世界は広いしおもしろい。

MAYO
MAYO

学びの旅ではあったけど、毎日めっちゃ楽しかったよ!

戦争の影響で外国人観光客が全然いないから、通常なら大混雑の観光地も貸し切り状態でゆっくりじっくり観れました。

そしてイスラエルもパレスチナも何食べても美味しかった。
毎日中東料理&スイーツ三昧で至福の時間でした♪

text: OMOMUKI magazine / CHAKA MAYO

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