① 三上編集長の「この世界の秘密は、カバラの生命の樹を紐解けば見えてくる」ってどういうこと?
② 生命の樹・完全ガイド─10のセフィラと22のパス、四つの世界
③ カバラ4000年の旅 ~ 誰が、いつ、どこで生命の樹を生み出したのか
④ なぜ世界は不完全なのか~ツィムツム・器の破砕・ティクン、ルリア・カバラの三大概念
⑤ 宇宙の設計図を独占した者たち─フリーメーソン・薔薇十字団・黄金の夜明け団と生命の樹
⑥ 魂は身体で泣く─イスラエルの旅で体験した、過去生との邂逅
マサダの頂上で、私は泣いた。
正確には、泣かされた。
感情が動いたわけじゃない。
頭で何かを考えたわけでもない。
気がついたら、涙と嗚咽が出ていた。
自分でもドン引きするくらい、急に。
標高450メートル、死海を見下ろすあの岩山の上で、私の身体が突然何かを「思い出した」んだ。
イスラエルとパレスチナを旅した6月。
カバラの連載を書き続けてきた私が、カバラ発祥の地に降り立った。
クムランの洞窟も見た。
死海文書の原文が特別公開されていて、2000年前のテキストを肉眼で見た。
それだけでも十分すぎる体験なのに、マサダで私の身体は、私の意識より先に動き出した。
後から考えた。
あれはなんだったんだろう、と。
そしてひとつの答えに辿り着いた。
ネフェシュが泣いていたんだ、と。

魂には「層」がある
カバラでは、魂をひとつの塊として捉えない。
魂には段階があり、層がある。
代表的な三層構造がこれだ。
| ネシャマー(נְשָׁמָה) | 最上位の魂。神との繋がり、直観、霊的な叡智。言語化できない領域。 |
| ルアッハ(רוּחַ) | 中間の魂。感情、思考、道徳心、自我意識。 |
| ネフェシュ(נֶפֶשׁ) | 最も根源的な魂。身体に宿る生命力、本能、肉体記憶。 |
簡単に言うと、ネシャマーが「神に近い魂」、ルアッハが「感情と思考の魂」、そしてネフェシュが「身体と直結した魂」だ。
マサダで起きたことを、この三層で読み解くとこうなる。
私のルアッハ(感情・思考)は何も反応していなかった。
「悲しい」とも「懐かしい」とも思っていない。
頭は普通に観光モードだった。
なのに、ネフェシュ─身体に宿る最も原初的な魂の層─が先に反応した。
理性が追いつく前に、身体が泣いた。
これ、めっちゃ重要なポイントだと思う。
ネフェシュは、思い出すために言語を必要としない。
概念も、物語も、いらない。
ただ「知っている」という反応が、涙と嗚咽という形で身体から出てくる。

マサダで何があったのか
少しだけ歴史の話をさせてほしい。
73年、死海のほとりにそびえる岩山マサダで、約960人のユダヤ人がローマ軍に包囲された。
彼らはシカリイ派と呼ばれる抵抗勢力で、第一次ユダヤ・ローマ戦争の末期、最後の砦として籠城していた。
ローマ軍は巨大な攻城塔を築き、陥落は時間の問題となった。
その前夜、指導者エレアザル・ベン・ヤイルはこう演説した。
「奴隷として生きるより、自由な死を選ぼう」と。
そして彼らが選んだ方法が、かなーり凄絶だった。
くじを引いて選ばれた10人が、残り全員を─妻も、子どもも、隣人も─自らの手で殺す。
次に10人の中でくじを引いて、最後のひとりが9人を殺し、自分も命を絶つ。
960人の命を、10人の手で執行した。
私がマサダで感じた「やりきれなさ」は、そこだった。
敵に敗れた悲しみじゃない。
愛する家族も、共同体すべての人も、自らの手で死を完遂しなければならなかった者の、あの夜の絶望。
ネフェシュは、それを覚えていた。

ギルグル─魂は旅をする
ここで、連載④でも少し触れた概念をもう一度取り上げたい。
ギルグル(גִּלְגּוּל)だ。
ギルグルとは、カバラにおける輪廻転生の概念。
「ギルグル」というヘブライ語は「転がる」「循環する」という意味を持つ。
魂は一度の人生で終わらない。
何度も転生を繰り返しながら、ある目的に向かって旅をしている。
このギルグルの思想を体系化したのが、前回の連載でも登場したイサク・ルリア(1534〜1572)だ。
彼の弟子ハイム・ヴィタルが著した『生命の書』には、魂の転生に関する詳細な記述がある。
ルリア・カバラーのギルグル論のポイントをまとめるとこうなる。
| ニツォーツォット | 魂は神から分かれた「光の欠片」。この世に降りるたびに、何らかの「課題」を持っている。 |
| ティクーン(תִּיקּוּן) | 課題が完了しないと、再び転生して続きを果たす。この修正・修復のプロセスをティクーンと呼ぶ。 |
| 上昇 | ティクーンが完了した魂は、より高い次元へ上昇する。 |
つまり私たちは、何かを「修正」するためにこの世に来ている。
そしてその課題は、ひとつの人生では終わらないことも多い。
前世で果たせなかったティクーン。
前世で負った魂の傷。
それをネフェシュは、身体の記憶として持ち越す。
だから特定の場所、特定の音楽、特定の匂いに触れたとき、頭より先に身体が反応することがある。
マサダで私の身体が泣いたのは、ネフェシュがまだ、あの夜を覚えていたからかもしれない。
キブツで泣いたこと
時系列は逆だがマサダの前日、私はキブツを訪れた。
キブツ(קִיבּוּץ)は、20世紀初頭にシオニズム運動の理想として生まれた農業共同体だ。
財産の共有、育児の共同化、完全な平等主義─そういう「理想の社会」を実現しようとした場所。
今も形を変えながら各地に残っている。
子どもたちが無邪気にはしゃいでいた。
畑があった。
笑い声があった。
穏やかで緑豊かな場所だった。
そこで、泣いた。
マサダとは種類の違う涙だった。
マサダの涙が痛みの放出だとしたら、キブツの涙は魂の安堵だった。
「ああ、続いていたんだ」という感覚。
あの夜、あの岩山で命を絶った人たちの子孫が、ここで生きている。
共同体を作り、土地を耕し、子どもを育てている。
カバラ的に言えば、これもひとつのティクーンだと思う。
マサダで砕けた「器」の光の欠片が、2000年という時間をかけて集まり直して、キブツという形をとった。
ルリアの「器の破砕(シェヴィラー・ハ=ケリム)」から「ティクーン」へ─その大きなサイクルを、私はイスラエルの地で身体ごと体験した気がしている。

「思い出す」ということの意味
カバラでは、人間が生まれてくるとき前世の記憶は「忘れさせられる」と言う。
なぜなら、もし全部覚えていたら今世の課題に集中できないから。
でもネフェシュは消えない。
身体は、思い出す。
それが何かの「場所」であったり、「音楽」であったり、「匂い」であったりする。
論理じゃなく、言語じゃなく、ただ身体が「知っている」という反応として現れる。
私はカバラの連載をずっと書いてきた。
生命の樹を、セフィラを、ルリアの思想を、秘密結社との関係を。
全部「頭」で理解してきたつもりだった。
でもマサダで初めて、カバラを「身体」で知った気がした。
ネフェシュの記憶。
ギルグルの旅。
ティクーンという名の修復。
これは概念じゃなかった。
あの岩山の上で、私の身体が泣きながら教えてくれた、リアルな話だ。
あなたにも、きっとある。
頭より先に身体が反応した瞬間。
理由はわからないけど、なぜか涙が出た場所。
説明できないけど「知っている」と感じた何か。
それはもしかしたらあなたのネフェシュが、ギルグルの旅の途中で何かを「思い出している」サインかもしれない。


イスラエルへ行くと決めたとき、正直こんな旅になるとは思っていなかった。
マサダで自分でもドン引きするくらい号泣するなんて(笑)。
でもおかげで、私の核にあった重いカルマが修復され、すっきりさっぱり軽くなりました♪
魂の話は、頭で理解するより先に、身体が教えてくれるものなのかもしれない。
text: OMOMUKI magazine / CHAKA MAYO



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