死生観が反転する、サプンツァの陽気な墓場

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「私はコレ(酒)で死にました」「どうか姑を起こさないで。姑が家に戻ったら、私はきっと叱られる..」。羊飼いの民族衣装を着た人、糸紡ぎするおばあさん、名誉市民らしき街の有力者…。どこかユーモラスで飄々とした表情豊かな人物たち、カラフルな色使いの木彫りレリーフ。「これがお墓なの?」と思わず脱力してしまう墓標がそろい踏み!

〝Cimitirul Vesel〟ルーマニア語で『陽気な墓』を意味するこちら、どのガイドブックでも必ず『世界一』とか『サプンツァの( Săpânţa は村のこと)』と枕詞のつく墓地なんである。

エメラルドグリーンの美しい教会を囲むようにして立ち並ぶ、三角屋根に十字架の青い墓標の数々。その陽気な光景を目にした瞬間、見る側の中にある「死」への概念がガラガラと音を立てて崩れていく。

正式名称『メリー墓地』(Merry Cemetery)はルーマニアの“生きた博物館“と言われるマラムレシュ(Maramureş)地方にある。

羊飼い、農家を生業とする人たちが現代も馬を原動力に移動する。17〜18世紀の佇まいを残す木造聖堂群が点在し、民族博物館でしかお目にかかれない木造の歴史建造物が家屋として普通に使われる。民族舞踊や伝統、手付かずの雄大な自然が現存するこの地域全体が、まるで何十年も前の時代にタイムスリップした錯覚に陥る。マラムレシュは歴史的エリアなのだ。

ルーマニア国旗がはためく陽気な墓。正式名称はメリー墓地という。

チャウシェスク政権時代も近代化の波に取り込まれることなくマラムレシュが”生きた博物館”として現存できたのは、幸いなことに首都ブカレストから日帰りできない僻地にあったから。現代でも交通不便なこのエリアでは移動手段のひとつにヒッチハイクが日常的に採択される。

『陽気な墓』に最も近い街シゲトゥ・マルマツィエイはルーマニアとウクライナの国境沿いにあって、肉眼でウクライナ側の民家が見える。両国の間に流れるティサ川を越えたらすぐ行けそうな距離だけど向こうはEU(欧州連合)圏外。国境検問所の橋がある。ロシアとウクライナが戦争を始めてから、川を泳いでシゲトゥ・マルマツィエイに不法入国を試みるウクライナ人の姿がみられるようになったそうだ。理由は、EU加盟国ルーマニアで人命保護申請が受理されればEU他国へ移動できるから。

シゲトゥ・マルマツィエイの交差点。ここからサプンツァまで約20km。

『陽気な墓』は野外博物館として、昨今はルーマニア国内でも人気の観光スポットになっている。この風変わりな墓を一目見ようと世界中から観光客が訪れる。私が行った時も駐車場では、地元タクシーのほかルーマニア国外のEU圏ナンバーの車やバイク、観光バスが停まっていた。

どちらかというとアウトサイダーアート寄りな作風。三角屋根に十字架、人物と碑文にカラフルな彩色という墓標は樫の木からできる。創設したのは村の木彫り作家 Stan lon Patras (スタン・ヨン・パトラシュ)氏。墓標には「この人が作者です」と黄色いサインボードがついている。

パトラシュ氏がこの墓標を作り始めたのは1935年と案外、近代だ。生前の職業、特徴やエピソードを愛とユーモア溢れる作風で表現した。新しい伝統になった墓標を、今は2代目職人が一人で制作している。生前に、本人が自分の好きな絵やメッセージを職人に依頼するシステムだ。一つ一つの墓をみていると、これは2代目だな、これはパトラシュ氏だなという作風の違いも見えておもしろい。

黒いスカーフとベスト、エプロンという民族衣装に身を包み、ルーマニアの伝統的な織物をするおばあちゃん。墓標にはおばあちゃんの人生譚が記されている。

「この人はいつもキッチンでお茶を飲んでいました」「植物の世話をするのが好きでした」という風に、墓標にはそれぞれの人生が刻まれている。中には「どうか皆さん、彼女の墓前ではお静かに願います。大声で騒ぐとこの恐ろしい姑が起きてしまうかもしれません」とユーモアたっぷりに表現されたものもある。民族衣装姿で羊を放牧する人、糸を紡ぐ人の絵がよく目につくのは羊飼いの多い地域柄だ。

自動車の前で飛んでいる様子で描かれるのは交通事故で亡くなった人。ベッドに横たわっているのは病院で天に召された人。列車にはねられた人もいた。子供のまま描かれる墓からは幼くして亡くなったのだなということがわかる。墓標を依頼することで、家族が悲しみを癒す役割も果たすのかもしれないと想像する。

色彩の鮮やかさもあるけれど、どの墓標も本当にほがらかで愛に満ちている。大切な人との別れが、どうしてここではこんなに明るく表現されるんだろう。その理由はこの地域独特の死生観にあった。ここでは誰かが死を迎えると、「あの人は“死んだ”ではなく、”生きていた”」と表現するのだ。

死は恐れるものではなく、決して悲しみや辛さだけを運ぶものでもない。その人が生きていた物語を通して残された者は生きる。アルコール中毒で命を落とした人の物語は生きている人々にとっての教訓として生かされる。そういう風に、「生きること」に焦点を当てるのだ。

この考え方は実際、母の死に執着していた私の死生観を良い意味で反転させた。そうだ、母はこんなにも私を寂しがらせるくらい、精一杯に生きていたんだ。そして母の生の物語を、私は今も大切に慈しんでいる。

もしも最愛の人との別れから立ち直れずにいる人がいたら、ぜひサプンツァの陽気な墓の公式HPなどを見てみてほしい。そして好機あらば現地に赴いてみて!きっとあなたの死生観も反転します。

陽気な墓には明るい花色がよく似合う

サプンツァの陽気な墓 INFORMATION

▪️公式サイト cimitirulvesel-sapanta

▪️紹介サイト Merry Cemetery – Sapanta, Romania

▪️住所 Str. Cimitirul Vesel nr.517 Săpânța, Maramureș, România

▪️写真集 The Merry Cemetery of Sapanta(2007年)

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