ルーマニアの小さな町で「小さな子が笑顔で近づいて来るな」と思ったら
背後からロマの家族に囲まれそうになったり…
ハンガリーのクラシック音楽に触れる機会から
その旋律がジプシー音楽に通底していることを発見したり。
ハンガリー、ルーマニアなど旧東欧圏をめぐる中で
ジプシー(ロマ)の存在を感じる場面が多くありました。
東欧の音楽を語るとき「ジプシー音楽(ロマ音楽)」が欠かせない存在で
その旋律は哀愁と情熱を帯び、聴く者の心を深く揺さぶります。
東欧の文化と切っても切り離せないジプシー(ロマ)について。
いつか記してみたいと思い、ジプシー音楽のルーツと絡めることにしました。
第1章は、ジプシー音楽のルーツを求めてルーマニアとハンガリーを旅します。
伝統、歴史、そして現地の音楽家たちの息吹を感じながら
その魅力を一緒に紐解いていけたら嬉しいです。
ロマとは? 〜音楽とともに生きる民族〜
東ヨーロッパの国々を歩いていて、多くの人がジプシーのことを「ロマ」と呼ぶことに
気がつきました。ルーマニア、ハンガリーでは現地に暮らす友人知人、
滞在先の宿主からも必ず「ロマに気をつけて!」と注意を促されました。
スロバキアとの国境に近いハンガリーの地方都市に滞在した時には、
世界大戦の際に作られた塹壕(ざんごう:敵弾から身を隠すための空堀/からぼり)を
勝手に住居化するロマ達の存在が地域問題になっている話を聞きました。
「見てください。あぁ嫌だ嫌だ、遊んでばかりで音楽だけは上手いんだから!」
実際にその町に残る塹壕で、何処吹く風で暮らすロマ達を見かけた時、
一緒にいた友達のお母さんが、頭を振りながら言った言葉が脳裏に焼き付いています。
その光景を見て、たくましいやら、ふてぶてしいやらと妙に感心してしまいました。

自動車を持っているのに、あえて馬車を移動手段にしているジプシーも多いといいます。
***
ロマ(Roma)=ロマ語で「人間」の意味
「ジプシー」という呼び方は、英語圏で広まった俗称です。現在では
「ロマ(Roma)」という呼称が彼らの存在を尊重する適切な表現とされています。
ロマの人々はベンガル地方などのインド北西部からヨーロッパへ移動したとされ、
移動生活を続けながら台所道具の金物細工、音楽や踊りで生計を立ててきました。
ロマの移動生活の中で育まれた音楽は各地の文化に影響を与えました。
特にルーマニアやハンガリーでは、ロマの音楽家たちは
王侯貴族の宴席や町の祭りで演奏するなど、社会に深く関わってきたのです。
ルーマニア:タラフと村に根差した音楽
ルーマニアのロマ音楽を語るうえで外せないのが「タラフ(Taraf)」と呼ばれる
民俗音楽アンサンブルです。「タラフ(Taraf)」の代表的なバンドは
Taraf de Haïdouks(タラフ・ドゥ・ハイドゥークス)。
90年代にヨーロッパで一世を風靡し、「ジプシー音楽の象徴」と呼ばれました。
ヴァイオリン、ツィンバロム(打弦楽器)、アコーディオンなどを駆使したサウンドは
時に激しく、時に切なく、土の匂いすら感じさせます。
現地のロマの人たちの様子がダイレクトに伝わってくる映像も必見です。
Latcho Drom – Taraf de Haidouks

ハンガリー:チャールダーシュとクラシックの接点
ハンガリーで一時期、民族衣装の収集を行なっていたことがあります。この時期に訪れた
伝統民族博物館で、かかっていたフォークダンス音楽のベースにロマ音楽が多いことを知りました。
民族音楽に詳しい人の説明によると、ハンガリーのロマ音楽といえば
真っ先に浮かぶのがチャールダーシュ(Csárdás)というハンガリー舞曲だそうです。
チャールダーシュ(Csárdás)はロマ音楽家によって発展した舞踊音楽で、
ゆったりした「ラッサン」と、急速な「フリッシュ」から構成されます。
これは元々、農民の踊りに由来する土着的なダンス音楽ですが、ロマ音楽家によって洗練され
芸術の域にまで高められたと言います。有名なものの中に(東欧ではありませんが)
イタリア人作曲家モンティによる「チャールダーシュ」があります。
クラシック音楽として知られていますが、実はその背景にはロマ音楽の影響が色濃くあります。
聴いたことのある物悲しい旋律。ロマ音楽がベースだったとわかり、納得!
David Garrett – Csárdás by Vittorio Monti – Milano 30.05.2015

クラシック音楽との結びつき:バルトークとコダーイ
ハンガリーの首都ブダペストにはリスト音楽院があり、日本から音楽留学に来ていた人に
会うことが多かったです。そして日本でも「ハンガリーに音楽留学していた」という人に会うことが
多く、ハンガリーのクラシック音楽の水準の高さを感じました。
そのクラックにも、実はロマ音楽は19〜20世紀の作曲家に大きな影響を与えていました。
- フランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲」
- ヨハン・ブラームスの「ハンガリー舞曲」
- バルトーク・ベーラの民謡収集と作曲
彼らはロマ音楽に魅了され、作品にそのエッセンスを取り込んだのです。
バルトーク・ベーラ(Bartók Béla)
バルトーク・ベーラ(Bartók Béla)は、東欧の民謡をフィールド録音し、それを元に
独自の音楽を構築した作曲家です。彼の作品にはロマ音楽の影響が色濃く反映されています。
静止画ですが、昔の民族衣装を着た人達とバルトークの非常に素朴な録音の記録です。
*ルーマニアと表記がありますが、かつてハンガリーだったエリアです。
Bartók field recordings Romanian Folk Dances

Bartók – Six romanian folk dances – Oistrakh / Kollegorskaya

コダーイ・ゾルターン(Kodály Zoltán)
コダーイ・ゾルターン(Kodály Zoltán)もバルトークと共に民謡の収集を行い、教育や作曲に
取り入れた重要人物。彼の音楽は、ハンガリーの旋律美がストレートに感じられます。
コダーイが編曲した賛美歌。Veni Veni Emmanue とは「来たれ来たれインマヌエル」の意。
Veni Veni Emmanuel Kodály Zoltán
交通機関の極端に少ない不便な東欧のカントリーサイドを車でアテンドしてくれた人のお宅に
泊めてもらった際、「ハンガリーの民族文化に携わるならコダーイを聴かないと!」と
情熱的に聴かせてくれた Yo-Yo-Ma。チェロの繊細な音律に、それまで味わったことのない
感動が脳と身体をかけ巡った思い出の曲です。
Ma plays Kodály – Sonata for Solo Cello, Op. 8
現代のジプシー音楽
現代のジプシー音楽についてみてみましょう。
Roby Lakatosは“ジプシー・ヴァイオリニスト”の代表格。クラシックからジャズ、ジプシー音楽までを自在に行き来するカリスマ的存在。超絶技巧と情熱的な演奏で世界的に人気です。
Roby Lakatos(ロビー・ラカトシュ)

Parno Grasztは、東ハンガリー出身のロマ・ファミリーバンド。伝統色を色濃く残しつつも、ステージパフォーマンスや現代風な表現で若い世代にも人気です。
Parno Graszt(パルノ・グラスト)
https://youtu.be/hSD0FnaGccI?si=5-TI4ZvOa4sU8v84
あとがき(ちょっぴり前世の記憶を交えて)
ロマ(ジプシー)の人々の存在が、自分の中でテーマになっているところがあります。
イーラーショシュ刺繍で有名なルーマニア(元ハンガリー領)の山岳地帯で
ロマの人の買え買え口撃を断っていたら、一緒にいたロマの小さな女の子に
「FUCK YOU!!!」と中指を立て悪態をつかれたことがあります。
また、ルーマニアの黒い湖という市のたつ小さな町には、商売で成功したジプシーが
「建てるだけで、決して住まない」というジプシー御殿を見てあっけにとられました。

アジアの寺院のような不思議でデコラティブな建造物。この一帯に、大小様々なこうしたジプシー御殿が建っていました。
ジプシーには「持つ者から取って何が悪いの?」という、
彼らにとっては至極当然な理屈があるといいます。
スられたり、身ぐるみ剥がす前提で囲まれるのはたまったものではありませんが
パンクな言動だなぁと思います。
旅をしていると、初めてなのに前にも訪れたことがあるような気がしたり
何とも懐かしい気持ちになることがあります。
東欧では「あ、自分ジプシーだったことがあるな」という感覚が訪れるたび強まりました。
それが確証に変わった頃、ちょうど占星術の活動を始めるタイミングでもあったので
過去生を見ることで有名なタロット占い師のジュディさんという方に
見てもらったことがあります。
「前世で東欧に住むジプシーだった時代がありますね。その時にタロット占い師だったので
占いが当たるのは当然だけれど、占い師として頼られすぎて心も体も弱っていた時に
ヨーロッパ中のジプシーがスペインで集う会があり、スペインでタロット占いをしていた
前世の私のところに 占い師をやめたいのですがどうでしょう? と来ているから、
今世ではくれぐれも、占う頻度に注意してね!」
と言われ、腑に落ちたことがありました。
自分の中に刹那的な面があって、これも多分その頃の魂のくせだなと思いあたる節もあり。
そんなわけで、ジプシーには何かシンパシーを感じるところがあり、
今回、音楽を通じてこうしてジプシー(ロマ)の話がすることで
何か過去生の自分も一緒に昇華していく感じがあります。
次回のジプシー音楽は、東欧のどのあたりにしようかな。
OMOMUKI magazine: CIMACUMA SAORI
コメント