ロシアのセカンドハウス『ダーチャ』って何だっちゃ?

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『しまくま堂дача』という屋号を目にすると、大概の人が「何語?」「何て読みはるん?」と不思議な表情ではんなり聞いてくれる。

『дача』はロシア語で「ダーチャ」と読む。語源は「与える」を意味する ダーチ(дать)。ダーチャはロシアやソビエト連邦だった国にある家庭菜園付きセカンドハウスのことをさす。

ソ連時代、国営の会社に勤める職員達は労働組合に申請すると国から無償で土地を貰うことができた。例えばロシアに『生協』があったとしたら。『生協』専用の大規模ダーチャが用意され、組合員とみなされた生協職員に区画分けされた家庭菜園用の土地(ダーチャ)が与えられる(ダーチ)といった具合だ。政府高官にもダーチャがあって、スターリンなどは政府専用車線(ロシアの道路はドデカく片側5車線!中央車線が政府専用になっている)でダーチャまで通ったという。

平日はモスクワやサンクトペテルブルク(旧レニングラード)といった都会で働きアパートで暮らす。そして週末になると郊外にあるダーチャへ出かけ、畑を耕し作物を育てる。住居にすることは認められていなかったが、割り振られた区画内にセカンドハウス(小屋)を建てることができた。台所やバーニャ(サウナ)といった水場のある小屋は別荘的な役割を担った。

採れたて野菜でシャシリク(バーベキュー)をして、ウォッカで上機嫌になる。野菜はピクルスに、ベリーや果実はジャムやリキュールになる。当時の政府はおおらかで、加工食品を自由に販売することが容認されていた。その名残だったんだなー。ロシアの蚤の市会場や地下鉄駅周辺で、明らかに一般人なおじいさんおばあさんが、さりげなく手製のピクルスやジャム、果実酒などを販売する光景を何度も見かけた。警察が現れるとスッと加工食品を片付けその場からいなくなり、見回りが終わると何食わぬ顔で戻りまた店を広げるといった具合。皆さん、慣れてはった。。

アル中の多かったソビエト時代、息抜きとなるダーチャの存在でアルコール中毒者が減ったという。またソ連は外貨を入れない経済対策をとっていたが、ダーチャのおかげで国内の食料自給率が高く輸入品に頼る必要がなかったと言う。

*参考書籍 豊田菜穂子さん著・ダーチャですごす緑の週末

仕入れ先のディーラー夫妻が、収穫したハーブティーやジャムを振舞ってくれたことがある。ダーチャの話になった時、なかなか笑顔を見せなかった二人が「雪がとけたらサンクトペテルブルグから100数十キロ離れたダーチャへ通うんだ」と顔をほころばせた時、おじさんの欠けた前歯のチャーミングさはさて置いて、そこがどれほど大切な場所かを垣間見た。昨今、ダーチャは菜園よりも欧米のようなガーデニングを楽しむ趣味の園芸的要素が大きいという。確かにロシアのガーデン雑誌をめくると、植栽を楽しむガーデニング写真が多数掲載され庭自慢の記事にあふれていた。

ところで私が店に「ダーチャ」と愛称をつけた頃、日本各地でこの言葉が同時多発的に使用されるシンクロが起きた。第一はロシアという国が“鉄のカーテン“を越えて近しい存在になったこと(その後、戦争が始まりまた距離は開きつつあるけれど.. )。それから『アナスタシア』というシベリアを舞台とした書籍が出版されたことが大きく影響したようだ。(『アナスタシア』に関しては自然の叡智に触れたい人は読んでみると良いかもです )愛称にした理由は他にも。例えばロシア雑貨を扱う同業さんから「これはダーチャですねぇ、、!」と感心されたこと。「焼肉食べに行くよ」と友人に誘われ到着したらしまくま堂だったというロシア人女性が「びっくりたまげました、、ここは私のおばあちゃんのダーチャそのままです、、!」と驚いたこと。

花とハーブを中心にガーデンオブジェを点在させて楽しむ我がダーチャ。雪解けで穴のようにあいた地面から顔を出す春の芽生え、緑萠ゆる夏、枯れゆく姿が哀愁を帯びる秋、雪に覆われる冬の白.. 四季おりおりに姿を変える自然の美。鳥のさえずり、虫の声。風にそよぐ木々の葉ずれを環境音楽に土いじりする。時々、触れた葉や花がえも言われぬ芳香を放つ。りす、きつねや狸、鹿など野生動物の訪問。アカゲラの木をつつく音。陽光を浴び植物と共にある時、あぁ自分もこの世界の一部なんだという至福の感覚に包まれる。たくさんの作物を育てている人ならその成長と収穫の喜びもひとしおだろう。こうした感覚が愛おしくて、人はダーチャ=庭を育み、慈しむのかもしれない。

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